聖霊のはたらき」タグアーカイブ

聖霊によって(2021.5.23)

聖 書

「霊が降って、ある人にとどまるのを見たら、その人が、聖霊によって洗礼(バプテスマ)を授ける人である。」(ヨハネ1章33節c)

礼拝音源(25.3MB)

ペンテコステ感謝礼拝順序

前  奏
招  詞 使徒言行録1章8節 司 会 者
頌  栄 29 一同起立
祈  祷 司 会 者
主  祷 93-5 A 一  同
交  読 詩編84編
会衆祈祷 一  同
聖  書 ヨハネ1章29~34節
使徒言行録1章3~8節
使徒信条 93-4  1A 一  同
牧会祈祷 川原﨑晃主管牧師
宣  教 「聖霊によって」 川原﨑晃主管牧師
祈  祷
5月誕生者祝福 「イザヤ書41章10節」
賛  美 343 一  同
感謝献金
奏  楽
頌  栄 27 一同起立
祝  祷 川原﨑晃主管牧師
後  奏

宣教要旨

洗礼者ヨハネは、イエス・キリストとの関わりにおいて、聖霊がどのような方であり、どのような働きをされるのかを明らかにしています。

  1. イエスを証しする聖霊

ヨハネは、罪の赦しに至る悔い改めを象徴する「水で洗礼を授け」ながら、イエスがおいでになる準備をしていました(30~31節)。彼は、イエスを見て「見よ、世の罪を取り除く神の小羊」と言いました(29節)。そう言い表したのは、自分の考えや意見に基づくものではなく、「霊が降って、ある人にとどまるのを見たら、その人が、聖霊によって洗礼を授ける人である」と神が語られたことに根拠がありました(33節)。イエスこそが、聖霊によって洗礼を授ける方であり、十字架と復活のイエスに浸すように一つとしてくださり、罪の赦しときよめをもたらしてくださる「神の子」なのです(34節)。

キリストを証しするのは、聖霊ご自身です(ヨハネ15章26節)。ですから、聖霊の働きによってイエスを主と告白し、聖霊に全く明け渡すことによってきよくされるのです。

2.イエスの証人とする聖霊

使徒たちはイエスの約束に従って、聖霊が降るのを祈り待ち望みました(使徒言行録1章12~14節)。そして、聖霊が一人一人の上にとどまり、一同が聖霊に満たされました(同2章1~4節)。この「聖霊によって洗礼を受ける」とは(同1章5節)、聖霊によってイエスと一つにされて力を受け、イエスの証人とされることでもあるのです(同1章8節)。

聖霊によって、私たち一人一人と教会の霊性と信仰に風通しをよくしていただいていることが大切です。そのためには、聖霊を待ち望み、慕い求め続けることが必要です。

普通におかしい非難(2020.11.22)

聖書

「しかし、聖霊を冒瀆する者は永遠に赦されず、永遠に罪の責めを負う。」(マルコ3章29節)

礼拝音源(26.1MB)

礼拝順序

前  奏
招  詞 ヨハネ12章24節 司 会 者
頌  栄 29 一同起立
祈  祷 司 会 者
主  祷 93-5 A 一  同
交読詩編 126編1~6節
会衆祈祷 一  同
聖  書 マルコ3章20~30節
使徒信条 93-4  1A 一同起立
賛  美 17 一同起立
牧会祈祷 石﨑善土伝道師
宣  教 「普通におかしい非難」 石﨑善土伝道師
祈  祷
賛  美 54 一同起立
感謝献金
奏  楽
頌  栄 27 一同起立
祝  祷 川原﨑晃主管牧師
後  奏

宣教要旨

1.普通に考えておかしい非難
イエスは山で十二人の使徒を選び、弟子達と共に家に帰って来ました。すると、再び群衆が集まって来ました。その中には、エルサレムから来たファリサイ派の律法学者たちがいました。彼らはユダヤ教の指導者でしたが、イエスが悪霊を追い出しているのを見て、「ベルゼブル(悪霊の頭)の力で悪霊を追い出している」(22)と非難しました。
イエスはその非難に対し、「サタンがサタンを追い出しているなら、悪霊は内輪で争っている事になり、立ち行かなくなる。」(23,24)と、普通に考えればその非難はおかしいと、応答しました。彼らの非難には根拠がなく、以前にイエスに非難された事(3:1~6)に腹を立て、思い込みや憎しみから出たものでした。

2.聖霊を冒涜する者は永遠に赦されない
イエスは聖霊により悪霊を追い出していました。また、人は聖霊により救われます。神を信頼し、自分の罪を悔い改め、イエスの十字架が自分の身代わりであったと信じる事は聖霊の働きによります。(1コリント12:3) そして救われる時、人が犯した罪や神に対して言ったどんな冒涜の言葉も、すべて赦され(28)ます。
悪霊の追い出しが聖霊の働きではないとすることは、聖霊を否定して冒涜する事です。それは、聖霊の働きによる救いを拒否することになります。その結果、「永遠に赦されず、永遠に罪の責めを負う。」(29)ことになります。
律法学者たちは、自分の考えにとらわれ保身に走り、イエスが全ての人に与えようとしている永遠の救いを受取る事ができませんでした。あなたはどう応えるでしょうか。

 

キリスト者を生かす(2012.7.22)

宣教題  : 「キリスト者を生かす」   宣教:   川原﨑 晃  牧師
聖    書  : 使徒言行録  19章1節~10節

私たちにとって大切なことは、聖書に証言されているイエス・キリストを信じ、このお方と結びつき、信頼して従っていくことです。これは、信仰告白に対する私たちの在り方も同じです。そのために、聖霊は今も、信じる私(たち)の内に働き、また私(たち)を通して働いておられます。

1.私(たち)の内に働かれる
パウロは、アポロからヨハネの洗礼について教えを受けていたエフェソの弟子たちに、「信仰に入ったとき、聖霊を受けましたか」と問いかけました。彼らは、聖霊のことが分からず、イエス・キリストを救い主また主と信じていませんでした。そこでパウロは、彼らに最善の道を明確に示しました。その結果、「人々はこれを聞いて主イエスの名によって洗礼を受けた」という御業が瞬間的に起こったのです(2~6節)。
聖霊は、見ることも触れることもできない、まるで風のように働かれます(ヨハネ3章5~8節)。聖霊は、私たちの心の目を開いて、私たちの真相を認識させてくださり、イエス・キリストの永遠の救いを明らかにしてくださり、信仰へと導かれます(エフェソ1章17~19節)。また、聖霊は、私たちの全存在・全生活をキリスト御自身とその愛で支配されます(エフェソ3章14~19節)。そして、聖霊は、神の言葉を大胆に語らせ、しかも他国の言葉で話すことを自由にさせてくだるのです(使徒言行録19章6節)。

2.私(たち)を通して働かれる
聖霊は、ペンテコステの時の12人の使徒たちに対すると同じように、エフェソにおいても聖霊に満たされた12人を用いて、小アジアへの宣教を進められました(7節)。
パウロが会堂で熱心に神の国について論じ説得したときに、心を頑なにして不信仰を表わし非難をする者たちが起こりました。しかし、それをも転じて福となして、他の場所での働きを進めることになりました。そうした二年の働きの結果、小アジア全域に福音が伝えられていったのです(8~10節)。
聖霊が、私(たち)の内に働かれ、それによって私(たち)を通して働かれるには、私(たち)が心砕かれ、イエス・キリストの恵みの御支配に委ねていくことが大切なのです。

聖霊の助け(2011.6.12)

宣教題  : 「聖霊の助け」   宣教:   川原﨑 晃  牧師
聖    書  : 使徒言行録 14章21節~28節  ローマ 8章26節
聖霊によって送り出されたパウロたちは(13章4節)、7教会を生み出すまでに伝道を展開してきました。しかし、そこには、困難や妨害といった苦難がともなっていました。聖霊は、「多くの苦しみ」と「神の国に入る」という二つの対照的な事柄を一つにしていくのです(14章22節)。

1.多くの苦しみを通して
パウロたちは、何もかも計画してその通りに伝道してきたというよりも、聖霊に満たされ、聖霊のくすしき導きに従って伝道を進めてきました。
その際パウロが経験した「多くの苦しみ」は、彼が気丈夫であったから乗り越えられたのではなく、いつも弱さを自覚しつつ苦闘していたのです(2コリント11章30節)。「弱いわたしたちを」と多くの点で弱さがあることを知っていたパウロは、とりわけ苦しみの中でどのように祈ってよいのか分からないという弱さを知っていました(ロ-マ8章26節)。
私たちが、苦悩や不安や不信といった苦難に揺さぶられたり、罪や誘惑や弱さによって失敗し挫折する経験をしたりするときに、その弱さを自らが受け入れることができるように、聖霊は助けてくださるのです。

2.神の国に入るのである
パウロたちが、アンティオキアの母教会で感謝の報告をした際に、それを自分たちが成し遂げたとは一言も言っていません。神の国に入れられるという御業は、全て神がなされるのです(27節)。ですから、全ての栄光は神にあるのです。
しかし、そのように告白させてくださるのは、聖霊の助けによるのです。聖霊が私たちと一緒に弱さを負ってくださり、聖霊が私たちと向かい合って弱さを運んでくださるからです。聖霊は、私たちに代わってとりなしてくださるからです(ロ-マ8章26節)。
このようなペンテコステの恵みの御業は、今もなし続けられているのです。

聖霊の働き(2008.5.4)

題   : 「聖霊の働き」   宣教:   川原﨑 晃  牧師
聖書  : 使徒言行録 2章22節~36節
使徒言行録」で語られていることは、「聖霊言行録」と呼ぶほうがふさわしい内容です。私たちがキリストの証人となり、教会の働きが生き生きと前進していくために、聖霊はどのように働かれるのでしょうか。

1.聖霊は降られるお方である  1章8節
永遠から永遠までおられる聖霊は、五旬節の日になって、人々の上に特別に臨まれました。主イエスが十字架で死なれ、その死から復活され、昇天されて神の右の座にお着きになった結果として、聖霊が注がれました。
聖霊が私たちに働かれるときに、私たちはキリストについて目が開かれます。そして、私たちを力強いキリストの証人にしてくださいます。また聖霊は、私たち自身の本当の姿を気づかせてくださいます。さらに、私たちの慰め主として、絶えず共にいてくださいます。

2.聖霊は見聞きできるお方である  2章33節
聖霊が見聞きできるとは、私たちが真に聖霊に満たされるならば、私たちを通して聖霊が働いておられることを他の人が認めることができるということです。
一人の人が造り変えられて、主の惠みを持ち運んで他の人を生かすことができるのは、聖霊によらなければできません。人が集まり組織を作っても、聖霊によって神のいのちが注がれなければ、生き生きとして神の栄光を現す教会とはなりえません。
私たちの家族が、友人が、同僚が、聖霊を見聞きできるキリスト者また教会とさせていただきたいものです。

3.聖霊は従う者に与えられる  5章32節
神は、ご自分に従う者に聖霊を与えてくださいます。そのためには、神に従おうと願うことです。人は神に従えないというよりも、従いたいと思っていないところに問題があります。さらに、条件をつけないで、一切において神に従うことを告白し、自分を主なる神に明け渡すことです。そして、具体的に神に従うことです。
私たち一人ひとり、このような意味でペンテコステを経験しているか吟味しましょう。