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十字架の恵み

成し遂げられた(2019.4.14)

宣教題 「成し遂げられた」        宣 教  川原﨑晃主管牧師 
聖 書 ヨハネ19章28~30節

 主イエスは、十字架上で祈り、とりなし、叫ばれました。このお方の十字架の死を取り囲む周囲の出来事に目をやるのではなく、このお方の死そのものに現された救いの恵みを見ましょう。主イエスは、何を「成し遂げられた」のでしょうか。

1.人の罪の一切を受け取られた 
 主イエスは、肉体的な痛みに苦悶する叫びとしてでなく、「すべてのことが今や成し遂げられたのを知り」、「渇く」と言われたのです。それによって、「聖書の言葉が実現し」(詩編69編22節)、人が神に捨てられるという魂の渇きを味わうことがないように、主イエスが身代わりとなって受け取ってくださったのです。それは、主イエスが酸いぶどう酒を受けられたことに表されているように、人の罪を飲み干そうとされる救い主の死だったのです
 このようにして、主イエスは、罪人の魂の渇きを受け取られたのです。

2.ご自身の命を自ら捨てられた 
 主イエスは、父なる神の御心である十字架の死を成し遂げてくださったのであり、それによって神の栄光を現されました(ヨハネ17章4節)。このようにして、十字架の死にいたるまで愛を貫き通されたのです(同13章1節)。
 そこで主イエスは、「頭を垂れる」ことにより、十字架において枕する所を得られました(マタイ8章20節)。そして、「息を引き取られた」と、主イエスご自身が命を捨てて、ささげ尽くしてくださったのです(ヨハネ10章18節)。

 主イエスの十字架において、神の救いは「成し遂げられた」のです。もはやそれを覆すものは何もありません。主イエスに結ばれた者として歩み続けるのみです。

聖書朗読(0.3MB)

メッセージ(13MB)

驚くばかりの恵み(2017.4.30)

宣教題  「驚くばかりの恵み」         宣教 川原﨑晃主管牧師
聖 書  ルカ23章32~43節

キリストの地上のご生涯の最後に出会った人物が、十字架上の死刑囚でした。その一人は、滅びの道に直行するところを、天国に引き上げられたのです。これは、驚くべき恵みでした。

1.キリストの恵みによって
十字架上でのキリストの赦しは(34節)、一方的な恵みによる救いです。罪の赦しは、罪に対する刑罰が免除されるだけでなく、失われていた神との交わりの回復をいただくことです。
それは、人の功績によらず、何の良い行いによるのでもなく、時間をかけてあずかるものでもありません。ただ一方的な十字架上であらわされたキリストの恵みによる、即刻にして完全な救いなのです。

2.キリストの恵みに応答して
一人の犯罪人は、このキリストの恵みに対して、信仰の応答をすることにより救われました。彼は、神が審き主であることを知って恐れています(40節)。自分たちが審かれることは「当然」であると厳粛に受け止めています(41節a)。キリストは罪のないお方であると認めています(41節b)。そして、キリストにその心を向けて、「わたしを思い出してください」との願いを謙遜かつ大胆にしています(42節)。

3.キリストの恵みによる変貌を
この一人の犯罪人は、体は十字架につけられたままでしたが、キリストと共にある恵みの確信をいただき、心に大きな変化が与えられました。罪が赦され、その人格が造り変えられ、新しい生き方をしています。その変貌ぶりは、永遠につながるものでした(43節)。
この幸いな同行者キリストの永久保証の祝福にあずかるのは、キリストの恵みに信仰の応答をする「今日のあなた」なのです。