主の恵み」タグアーカイブ

恵みがやってくる(2021.12.5)

聖 書

天使は、彼女のところに来て言った。「おめでとう、恵まれた方。主があなたと共におられる。」(ルカ1章28節)

礼拝音源(34.0MB)

礼拝順序

前  奏
招  詞 詩編98編1〜2節 司 会 者
頌  栄 29 一同起立
祈  祷 司 会 者
主  祷 93-5 A 一  同
交  読 詩編108編1〜7節
会衆祈祷 一  同
聖  書 ルカ1章26〜38節
使徒信条 93-4  1A 一  同
牧会祈祷 川原﨑晃主管牧師
宣  教 「恵みがやってくる」 川原﨑晃主管牧師
祈  祷
聖 餐 式 新49
12月誕生者祝福 ヨハネ10章10節b~11節
賛  美 461 一同起立
感謝献金
奏  楽
頌  栄 27 一同起立
祝  祷 川原﨑晃主管牧師
後  奏

宣教要旨

御子イエスの御降誕の事実は、神の恵みがやって来たことを明らかにしました。ここに語られているマリアへの受胎告知は、マリアを通して、人はこの恵みと出会い、その恵みを受け取る必要があることを語っています(28節、30節)。

1.恵みに捉えられる
未婚の娘マリアにとって子を宿すことは、驚きあやしむことしかできないことでしたが、神の全能によって成し遂げられたことでした(35~37節)。同時にこの事実は、罪と悪に満ちた世界に独り子を送り込むと言う神の冒険でもありました。
マリアは、神の前から逃げることなく、神の御計画を信頼し、一切を託したのです(38節)。彼女にそうさせたのは、神の御言葉に促され、導かれ、支えられてのことでした(28節、30節、35節、37節)。同じように私たちは、主イエスによって成し遂げられた神の救いの恵みに捉えられて、飛び込んでいくのみです。

2.恵みにより方向づけられる
マリアがこのように恵みを受けたことは、大きな試練を通してでした(29節)。それは彼女が、「主の仕え女」として選び取った恵みの経験でした。そして、その後も数々の苦難を受けた中で、わが子が十字架に架けられるという経験をします(ルカ2章35節)。
マリアのこの恵みの経験は、パウロが「あなたがたには、キリストを信じることだけではなく、キリストのために苦しむことも、恵みとしてあたえられているからです」(フィリピ1章29節)と語ることと重なり合います。同じように私たちは、「キリストのために苦しむ」ことの恵みによって、信仰の歩みの方向づけをさせていただくのです。

恵みによる回心(2021.3.7)

聖書

なぜならこの私は、その福音を人から受けたのでも教えられたのでもなく、実にイエス・キリストの啓示を通して受けたからです。(ガラテヤ1章12節)

礼拝音源(30.3MB)

礼拝順序

前  奏
招  詞 ヤコブ4章8節 司 会 者
頌  栄 29 一同起立
祈  祷 司 会 者
主  祷 93-5 A 一  同
交  読 詩編27編
会衆祈祷 一  同
聖  書 ガラテヤ1章11~17節
使徒信条 93-4  1A 一同起立
賛  美 6 一同起立
牧会祈祷 川原﨑晃主管牧師
宣  教 「恵みによる回心」 川原﨑晃主管牧師
祈  祷
3月誕生者祝福 「箴言3章5~6節」
賛  美 441 一同起立
感謝献金
奏  楽
頌  栄 27 一同起立
祝  祷 川原﨑晃主管牧師
後  奏

宣教要旨

パウロは、回心した時から人生についての考え方や価値観が変わりました。キリストの十字架の事実が、彼の回心するまでの人生とその後の人生とを区切ったのです。

1.回心をもたらす恵みの主  11節~16節a
パウロは、福音の出所も起源も人間からではなく、神ご自身からのものであると宣言しています(11~12節)。キリストが、それを開かれ、明らかにされ、示されたのです。
かつてのパウロは、行動的にも内面的にも「極めて熱心でした」(13~14節)。しかし、神が恵み深い主権的な働きかけをもって、パウロに回心をもたらされたのです(15~16節b)。そこにおいて、恵みによる神の選びがあり、恵みによる召命があり、恵みによってイエスが救い主であることを示されたのです(ヨハネ15章16節参照)。
私たちの内にキリスト信仰を与えてくださるのは、聖霊なる神です。

2.確信へと導かれる恵みの主  16節b~17節
回心後のパウロには、二つの衝動がありました。自分の身に起こったことを直ちに他者に知らせたいという衝動、自分の身に起こったことの意味や結果を深く吟味したいという願いです。別言すれば、隠れ込んで出て行く、という衝動です。
パウロは、ダマスコ(使徒言行録9章20節)からアラビアへ、そしてダマスコに戻ったのでした。この間彼は、深く主との交わりを持つ孤独の時を過ごしています(哀歌3章26~28節参照)。そこで、信仰の確信へと導かれたことは、神の恵みでした。
私たちは、その信仰生活において、礼拝や祈祷会や個々人の密室などが真に生かされ、救いの確かさが深められ、広げられていく恵みにあずかり続けることが大切です。

 

恵みと平和の福音(2021.1.31)

聖書

私たちの父なる神と主イエス・キリストから、恵みと平和があなたがたにありますように。(ガラテヤ1章3節)

礼拝音源(24.09MB)

礼拝順序

 

前  奏
招  詞 イザヤ43章1節 司 会 者
頌  栄 一同起立
祈  祷 司 会 者
主  祷 93-5 A 一  同
交  読 詩編8編
会衆祈祷 一  同
聖  書 ガラテヤ1章1~5節
使徒信条 93-4  1A 一同起立
賛  美 4 一同起立
牧会祈祷 川原﨑晃主管牧師
宣  教 「恵みと平和の福音」 川原﨑晃主管牧師
祈  祷
賛  美 521 一同起立
感謝献金
奏  楽
頌  栄 27 一同起立
祝  祷 川原﨑晃主管牧師
後  奏

宣教要旨

「ガラテヤの信徒への手紙」は、教会を真実に正しく導く福音の羅針盤のような手紙です。この手紙のあいさつ部分に、「恵みと平和」の福音は、何をもたらすかを明らかにしています。

1.キリストの救いの確信に導く  3~4節
恵みによって、神は私たちの救いのためにすべてのものを備えていてくださいます。その恵みがあるところには、神との和解がもたらす平和と平安の祝福があります(3節)。

そして、この福音の根元には、キリストの十字架があります。キリストの十字架は、私たちの罪の身代わりのため、私たちを今の悪の世界から完全に救い出すためでした。キリストは、そのようにして父なる神の深いご計画に従われたのです(4節)。

このキリストの救いの御業によってのみ、私たちは救われるのです。この救いの事実は、私たちの考えや思いが届かないほど、深く、大きいものです。

2.神の召しにあずからせる   1~2節
パウロが恵みと平和の福音の使徒とされたのは、復活されたキリストと父なる神によって直接与えられたことを語ります(1節)。こう語るのには理由がありました。ガラテヤ地方の教会に、パウロにはその資格がなく、かつてはキリスト教会とクリスチャンを迫害した過去があるために、彼を信用できないと主張する者たちがいたからです。

神は、人が神に背いていた過去の姿を見て評価し、判断されません。今、恵みと平和の福音に生きている真実な姿を見られ、その将来を見られます。私たちも、このように神に召された者であることを自覚して、栄光を神に帰する者となりましょう(5節)。

 

恵みに生きる(2020.1.1)

宣教題 「恵みに生きる」        宣教 川原﨑晃主管牧師
聖 書 1コリント15章1~11節

 私たちが神の愛を受け入れ、聖霊の賜物を受けることができるのは、主イエス・キリストの恵みを経験するからです(2コリント13章13節)。新しい年も、このキリストの恵みに生かされ、歩み、戦い、全うしたいものです(1コリント15章10節)。

1.何であるか  1~9節
十字架の死から復活されたキリストは、使徒たちから始まり、多くの者たちに現れてくださり、神に敵対していたパウロにも現れてくださり、クリスチャンの列に恵みによって加えられました(5~9節)。そして、その福音の言葉の伝承は、リレーのように受け継がれ、今日の私たちにまで至ったのです(1節)。
 私たちが今日あることができるのは「神の恵み」によります(10節a)。それは、キリストの十字架と復活を通して現わされた福音によってもたらされた神の救いです。私たちは、それを神の御言葉を信仰の手がかりとして信じているのです(2~4節)。

2.何をするか  10~11節
 パウロの生涯を一貫して導いてきたのが、「神の恵み」でした。彼が、使徒として召されたのも「神の恵み」によりました。それゆえに、「神の恵みは無駄」にならないために、誰よりも多く福音のために働いたのです。そうさせてくださったのも「わたしたちと共にある神の恵み」でした(10節)。

 キリストに結ばれている私たちは、パウロと同じ立場に置かれています。神の恵みによって主の業に満ち溢れることが、私たちを動かし、教会を動かすのです(1コリント15章58節)。神の恵みに追われる歩みをスタートさせていただきましょう。神の恵みに追われる日々を歩み続け、全うさせていただきましょう(詩編23編5~6節)。

聖書朗読(1.4MB)

メッセージ(13MB)

数えてみよ 主の恵み(2018.12.30)

宣教題  「数えてみよ 主の恵み」       宣 教  今田好一牧師
聖 書  詩編103編1~5節

主の2018年最後の礼拝を迎え、この一年をふり返って、主が与えてくださった恵みの数々を思い起こし、主に感謝を献げさせていただきましょう。

1.わがたましいよ、主をほめよ
全身全霊をもって主をほめたたえなければ、神への感謝を忘れてしまうほど、わたしたちは愚かで鈍い者です。神の恵みは湧き溢れる泉から、わたしたちに注がれ、潤され続けているのだから、そのことを忘れないようにしたい。わたしたちが、神の恵みを何一つ忘れないためには、ひとり静かに神の恵みを思い巡らすことが大切です。その時、感謝と賛美が終わることはないのです。

2.すべての不義を赦された者として
すべての不義を赦された者の神への感謝の理由を以下に六つ記します。
(1)わたしのすべての不義を赦してくださった。(2)わたしの家族のすべての病を癒してくださった。(3)死と滅びからの贖いを成し遂げてくださった。(4)恵みとあわれみとの冠を与えてくださった。

3.一生良いもので満たしてくださる
(5)神が創造主であり、養い主でもあられる。(6)わたしたちと教会を常に新しくしてくださる。わたしたちの肉体は衰えますが、永遠にきよめてくださる霊と共に、永遠の命を宿す栄光の体が与えられる日が来るのです。
わたしたちが、主の恵みを数え、主に栄光を帰し、今年一年の守りと励ましと、救いの恵みの確かさを喜び、新しい年に向かって若々しい命と力を更新していただき、御国を目指して歩みましょう。「数えてみよ 主の恵み」を!

聖書朗読(0.3MB)

メッセージ(10.3MB)

神の国はここにある(2018.11.18)

宣教題  「神の国はここにある」       宣 教  川原﨑晃主管牧師
聖 書  ルカ17章20~21節

神の国は、神の恵みで満ちています。その神の国を子どものように受け入れることによって、神の恵みに与るのです(18章16~17節)。なお、神の国は、見える形で、場所を限定して指し示すことができるものではありません(20節)。

1.あなたがたのただ中に 
 人は、神に対する悔い改めと主イエスに対する信仰によって救われることにより、神の恵みの支配に入れられ、その恵みに生きる者とされます(マルコ1章15節)。そこには、神の無条件の赦しの愛が満ちています。そして、主イエスを信じて罪が赦されたという喜びの実感、本当に罪のない者とされたとの平安の確信が与えられるのです。
 このように、見えない神の国は、ただ信仰によって、一人ひとりのただ中に、すなわち心の深いところに実現していくのです。

2.あなたがたの間に 
 主イエスを信じるということは、今ここに主イエスがおられ、神の恵みの支配を信じて生きることです。それは、神の国を私たちの心の中に閉じ込めてしまって終わることではありません。「あなたがたの間にある」のです。すなわち、主イエスによって集まる教会に、神の招きによって礼拝をささげているところに、主にある交わりのあるところに、神の恵みの支配が始まっており、神の国の現実があるのです。
 私たちは、神の恵みの支配の中に置いていてくださることを信じ、信頼することに集中して生きていくのです。

聖書朗読(0.2MB)

メッセージ(8.4MB)

限りなく豊かな恵み(2018.8.26)

宣教題  「限りなく豊かな恵み」        宣 教  小平徳行師
聖 書  エフェソ2章1~10節

神は私たち人間に「限りなく豊かな恵み」を与えて下さいます。この恵みによって人間は救われ、人生は全く変えられます。真の希望はここにあります。

1.罪人を救う恵み(1~3節)
 神の恵みは、受ける価しない罪人に与えられます。人間は皆、生まれながらにして自分の過ちと罪のために霊的に死んでいます。神から離れ、悪魔、肉欲の奴隷となっており、その結果、神の怒りを受け、永遠に滅びるべき者なのです。それにもかかわらず神は罪深い私たち人間を救う道を備えて下さいました。

2.キリストにおける恵み(4~9節)
このような罪深い人間を神はご自身のひとり子、イエス・キリストを通して救って下さいます。それは神の豊かな憐れみとこの上ない愛のゆえです。神はキリストの十字架により人間の罪を赦し、神との関係を回復させ、霊的な命を与え、「キリストと共に生かし」、そして「共に復活させ」、信じる者に新しい命、死に勝利した復活の命を与えられます。さらに、キリストと「共に天の王座に着かせ」、天の立場を先取りさせて下さるのです。この救いは私たちの善行によるのではなく、キリストによる神の恵みを信じて受け取ることによって得られます。

3.神に造られた者として生きる恵み(10節)
キリストを信じるとき、人間は新しく造られた者とされます。それは「善い業を行って歩む」ためです。神は私たちひとりひとりに人生の目的を与え、善い業を備えて下さっています。この限りなく豊かな恵みを、信仰によって受け取らせていただき、真に生きがいある人生を送りませんか。

聖書朗読(0.8MB)

メッセージ(11.8MB)

恵みによって、今の私に(2017.12.31)

宣教題 「恵みによって、今の私に」     宣教 今田好一牧師
聖 書 1コリント15章3~10節

 復活の主が人々の前に現れたリストの最後に、パウロは自分を挙げて、神の恵みを感謝しています。

1.今のわたしに導いた惠み
 パウロは自分を「月足らずで生れたようなわたし」と表現し、更に神の教会を迫害した張本人として描きます。しかし神は、そんなパウロに主の十字架による全き赦しを与え、復活の主イエスを宣べ伝える者として用いられます。神は、パウロが弱い時に強くし、迫害に遭った時に助け、心挫ける時に新しい力を与えて下さいました。

2.恵みによる多くの働き
 パウロは、自分の働きが誰にも負けなかったと告白をします。それは神の恵みが溢れているから、共にいて下さった神の恵みによって多くの働きができたと語ります。神の恵みを深く感じたパウロは、その恵みを決して受けっ放しにはしませんでした。

3.内側で働く神の恵み
 パウロは、神の恵みを感じ、一生懸命働く者になった自分が偉いのではなく、素晴らしいのは私の内で働かれる神の恵みなのだと語ります。すべてが神の恵みであり、その恵みの与え主だけが褒め称えられるべきなのです。神の愛が欲しくて奉仕するのではなく、神への感謝が自然の表れとしてなされる奉仕のみが貴いのです。
 今年、与えられた恵みに感謝し、来る年のためにも、主は更に優る恵みを私たち一人ひとりに備えておられることを信じて歩みましょう。そして、今のわたしがあるのは主の十字架のゆえであることを心に覚えましょう。

恵みと真実に囲まれて(2017.7.2)

宣教題  「恵みと真実に囲まれて」     宣教 川原﨑晃主管牧師
聖 書  1テサロニケ5章23~28節
神の恵みと真実が、個々人と教会の信仰の歩みの土台となって深く根ざしていくならば、信仰が保たれ、真の結実をもたらしていきます。この手紙の結びに当たる箇所には、その神の真実と主イエス・キリストの恵みが語られています(24節、28節)。

1. 神の真実に立った祈り  23~24節
主イエスの再臨に備えての祈りの中心は、信徒が「平和の神御自身」によって「全く聖なる者」とされることです。それは、主イエスの十字架によって、罪が赦され、きよめ続けられ、神のものとされることによって、神と人との間に平和がもたらされ、人と人との間に平和がもたらされ、神の平安が与えられていることです(23節a)。そして、主イエスの再臨の時まで、全存在が守られ続け、栄光の姿に変えられるのです(23節b)。
真実な神は、このように約束されたことを必ず成し遂げてくださいます(24節)。平和の神御自身は、信仰者にとって、絶対に信頼できる真実な神なのです。

2.主の恵みに信頼を置いた求め  25~28節
神の真実と恵みに信頼を置くパウロは、三つのことを依頼し、また求めています。主の恵みに立ち続けられるようにとの祈りを要請しています(25節)。主の恵みによって、キリストの体なる教会の交わりが保たれるように願っています(26節)。主の再臨待望信仰に生きることから脱線しないように(2テサロニケ2書2節)、主の恵みによって、キリストの体として一つに結ばれているように強く命じています(27節)。
この手紙は、主の恵みで始まり(1章1節)主の恵みで終わっています(5章28節)。
私たちは、主の恵みによって救われ、生かされ、主の再臨の日まで保たれているのですから、主の恵みに信頼を置くのみです(詩編23編6節)。

恵みの仕組み(2015.4.26)

宣教題  「恵みの仕組み」           宣教 川原﨑晃牧師
聖 書  ヨハネ1章41~42節

 ここでは、シモンという人物が主イエスと出会ったときに、どう変えられたかということが語られています。主イエスが言われた御言葉は、神の恵みを彷彿とさせ、私たちにも同じことがなされることを知るのです。

1.あなたはシモンである 
 主イエスの鋭くも恵みに満ちた視線がシモンに注がれています。その視線は、弱い者の中に強い者を、不義なる者の中に義を、死んだ者の中に命を見るものでした。同じ主イエスの視線が、今この瞬間においても、私たちの上に注がれています。
 そして、主イエスは開口一番、「あなたはヨハネの子シモンである」と言われました。このように主イエスは、シモンのみか私たちが持っている罪深さや弱さや醜さという人間の正体を診断されるのです。ここから、恵みの御業がなされていくのです。

2.あなたをペトロと呼ぶことにする 
 続く主イエスの御言葉は、「ケファ―『岩』という意味―と呼ぶことにする」でした。シモンにとっては全く思いもよらない言葉でした。しかし、主イエスが大きな憐れみをもって、「岩と呼ぶことにする」すなわち「ペトロにする」と言われたからには、
そうしていただくために、彼が主イエスを信じ、信頼し、自分の何もかも主イエスにかけてみようと受け入れたのです。
 同じように私たちは、主イエスの十字架の身代わりの死と復活のゆえに、それを信じる信仰によって新しく造り変えられる恵みに生きることができるのです。

3.あなたはシモン・ペトロである 
 この後、「シモン・ペトロ」と呼ばれ続けたのは、シモンでありながら、主イエスによってペトロとされ続けていることへの感謝があったからです。ここに主の恵みの仕組みがあります。主イエスは、このことを忘れないで歩む者を、恵みの器として用いてくださるのです。

キリストのために苦しむ(2014.5.4)

宣教:川原﨑 晃 牧師
聖書:使徒言行録25章1~27節 フィリピ1章29節

聖書は、キリスト信仰を持っていても、試練や苦しみを経験することを少しも否定していません。むしろ、そうした経験の必要と貴さを明らかにしています (フィリピ1章29節)。パウロは、その宣教活動において、神の御計画の中にあって「キリストのために苦しむ」ことを経験し、そこに自分の生きざまを見い 出していました。

1.神の恵みの深さを知ることを  1~12節、23~27節
パウロはカイサリアの慰留所に2年間監禁されていましたが、その間ユダヤの最高権力者たちの彼に対する憎しみは消えていませんでした。彼らは、なおパウ ロを違法者として訴え続けますが、誰もそれを立証できませんでした。そこで、パウロは、ローマ市民権を用いて「私は皇帝に上訴します」と発言したのでした (11節)。この道こそ、神の最高の摂理の道であり、最も安全かつ合法的な形でローマに行ける道でした。神のくすしい恵みによって、このように神の導きが なされていくのです。
その後、フェストゥス総督やアグリッパ王たちは、パウロと会見しました。前者のこの世の栄光と野心に満ちた姿と、後者の神の恵みに与って黙し毅然として いる姿とは対照的です。神の恵みによって私たちの特権となるものがあります。キリストを救い主として受け入れる信頼と、苦しみの学校によって鍛えられる試 練です。

2.復活のキリストを証しすることを  13~22節
繰り返されるパウロへの審問には、大切な真理、パウロが命を賭けた真理が証しされています。それは、「このイエスが生きている」との力強い証言であり(19節)、これこそ神の恵みの証しです。
十字架に死なれたキリストは、復活されて今も生きておられ、罪と死と滅びの中に死んでいた私たちを生かし続けていてくださいます。それによって、価値観も 人生観も変えられて、いかなる試練や苦しみを経験しても、復活の命と永遠の希望の中を歩み続けることができるのです。私たちは、神の霊に満たされて、今も 「このイエスが生きている」とパウロと共に証しし、歩み続けたいものです。

喜びを抱いて(2013.9.1)

宣教題  : 「喜びを抱いて」   宣教:   川原﨑 晃 牧師
聖    書  : 詩編100編1~5節
私たちの信仰の歩み、また教会の歩みを振り返る時に、いつも「主の恵み」がありました(1コリント15章10節)。そして、それに応答する信仰がありました。
「詩編100編」は、主の恵みが溢れているところには、尽きない喜びが溢れていることを語っています。

1.主の恵みの豊さゆえに
この詩編は、「あげよ」「仕え」「進み出よ」「知れ」「入れ」「たたえよ」と命令していますが、そこには緊迫感や圧迫感は感じられません。それには理由があります。主こそ私たちの創造主であり、私たちは主のものとされた主の民であり、主に養われる羊の群れであることを知っているからです(3節)。また、私たちは、主の恵み深さと、変わることのない慈しみと、真実の確かさを知っているからです(5節)。
そこからは、主に感謝をささげる礼拝生活が生まれてきます(4節)。何よりも、神が成し遂げられ、備えていてくださることの一つ一つに感謝することです。とりわけ、主イエスの十字架と復活のゆえに、神のものとされたことへの揺るぎない事実が、感謝の源泉です。このように感謝できることは、力強い人生です(1テサロニケ5章16~18節)。

2.主の恵みに徹するゆえに
主の恵みに対して、「喜び祝い、主に仕え」(2節)とは、当然の信仰の応答です。ただ、環境や条件が整ってから、主を礼拝し、主に仕えるというのではありません。
ダビデの生涯に、徹底した罪の赦しと聖別がありました(サムエル下11章~12章)。その時ダビテは、「御救いの喜びを再びわたしに味わわせ、自由の霊によって(喜んで仕える霊が)支えてください」(詩編51編14節)と祈っています。このように罪だけが、救いの喜びを奪ってしまいます。
私たちは、「打ち砕かれ悔いる心」(同19節)でもって、贖い主を崇めていないと、復活の主を全ての中心に置いて、臨在の主に主権をお渡ししていないと、喜んで仕えることができないのです。
主の御前の喜びは全地にふさわしく、神の民にふさわしいのです(ローマ12章11節)。

神の恵みを無にしない(2013.2.10)

宣教題  : 「神の恵みを無にしない」   宣教:   川原﨑 晃 牧師
聖    書  : ルカ4章22~30節 ガラテヤ2章21節a
ナザレの会堂にいた人々は、主イエスが語られる恵みの御言葉が気に入らないと言わんばかりに、神の恵みを無にしてしまっています。彼らは、憤慨し、主イエスを外に追い出し、ついには崖から突き落とそうとしたのです(28~29節)。なぜ、人々が、主イエスを拒否し、その救いの恵みを受け入れることができなかったのでしょうか。

1.偏見のゆえに 
人々は、主イエスをただの人としてしか捉えていません(22節b)。また、主イエスがカファルナイムでなされた奇跡をナザレでも見たいと願っています(23節)。「医者よ、自分自身を治せ」とは、主イエスが十字架に架られた時の嘲りや罵りと同じです(ルカ23章35~39節)。
こうした偏った理解また間違った思い込みは、主イエスの救いを正しく理解しようとしない偏見です。神の恵みを受け損なうことがないように!

2.ねたみと憎しみのゆえに
主イエスは、旧約の預言者エリヤとエリシャの例をあげて(25~27節)、神の救いの恵みが異邦人にまで及んだことを証ししておられます。ところが、人々は、異邦人に救いが及ぶことを受け入れることができなかったために、憤慨し、ねたみと憎しみをもって、主イエスを死に追いやろうとしました(28~29節)。
主イエスの十字架による罪の赦しの恵みを受け損なうことがないように!

3.不信仰のゆえに
「預言者は、自分の故郷では歓迎されないものだ」(24節)と語られた主イエスは、そうした人々の不信仰に驚かれました(マルコ6章4~6節)。不信仰は、主イエスに出会うのを妨げ、神の恵みを受け入れさせず、その恵みを無にしてしまいます。
信仰は、救いを成し遂げられた主イエスを心から信頼することです。私たちは、このような信頼の心をもって、主イエスに近づくのです。

恵みは豊かに(2010.12.19)

宣教題  : 「恵みは豊かに」   宣教:   川原﨑 晃  牧師
聖    書  : ヨハネ  1章14~18節
イエス・キリストは、人としては父なる神との親密な愛の交わりを持たれ、神であるということにおいては御父とまったく等しいお方です(14節、18節)。このお方には、「恵み」が豊かに満ちています(14節、16~17節)。そこで私たちは、この恵みに与かり続ける経験が大切です。

1.キリストの栄光を見る経験  14節
キリストは、「わたしたちの間に宿られた」のです。これは、キリストが私たちの間に住み着くようにして、私たちを神の仲間に入れてくださったことを意味しています。
その結果、「わたしたちはその栄光を見る」ことができたのです。そのことが最も鮮やかに現わされたのが、キリストが十字架において神の救いを成し遂げられたことによってであり(ヨハネ12章23~24節)、復活されて勝利されたことによってでした(同17章24節)。
私たちは、罪ゆえに神の栄光を受けられなくなっていたのですが、キリストの救いの恵みによって(ロ-マ3章23~24節)、神の仲間とされ、神を礼拝する者とされたのです。

2.恵みから恵みへと導かれる経験  16節
この恵みは、私たち皆が継続して受けていくものです。それは、「恵みの上に、更に恵みを受けた」とあるように、恵みを新たにし続けていただくことです。順境の時は順境の恵みが、逆境の時には逆境の恵みがあるように、キリストが与えてくださる恵みは、切れ目なく続き、尽きることがなく、常に生き生きと躍動していて、必要な時に大きな働きを生み出す力を持っています。
私たちはこの豊かな恵みに出会い、それを受け取り、そこに立ち続けるのです。そのためには、イエス・キリストの前に身を屈め、頭を垂れ続けていることが大切なのです。

あなたも家族も(2010.10.24)

宣教題  : 「あなたも家族も」   宣教:   川原﨑 晃  牧師
聖    書  : 使徒言行録   16章25節~34節
日本人の宗教意識には、信仰を持つということが、社会や家族から遊離された形で生きることと思っているところがあります。しかし、聖書が語る「救い」とか「信仰」は、聖書の約束にあるように「あなたも家族も」に及ぶものなのです(31節)。

1.救われます
ここには、迷信と商売と政治の混乱した世界の中で(使徒言行録16章16~24節)、家庭と誇りを背負いつつ自縄自縛の人生を生きる看守がいます(同27節)。要するに、救いを失った人間の姿があります。
そうした混乱の中にあって、パウロとシラスは、真夜中の牢獄で神に賛美をし、神に祈って礼拝をしていました(25節)。ここに、神の救いの力が現われています。救われるということは、いかなる時であっても、神が共におられることを知って、神を信頼し、神を讃え祈る者と変えられることです。
看守は、恐怖の中に置かれて「(私が)救われるためにはどうすべきでしょうか」と二人の伝道者に懇願しました。彼らは、明確に「あなたも家族も救われます」と、家族にまで及ぶ神の救いの福音を宣言したのです(30~32節)。神の救いは、神と人の回復のみか、人と人の回復にまで及ぶのです。

2.主イエスを信じなさい
「主イエスを信じなさい」とは、主イエスを信頼して、自分自身とその生涯を任せなさいということです。そのようにすれば、「あなた」という個人とともに、「家族も」救われて、家族全体が喜びと平安と愛に包まれる祝福にあずかるのです。
ひとり一人が信仰を言い表して「洗礼を受け」、キリストの愛と赦しと和解に生きるようになり、「神を信じる者となったことを家族ともども喜んだ」(33~34節)との恵みの輪が広がることを祈りましょう。