宣教題 : 「御霊の導きに従う者」 宣教: 川原﨑 晃 牧師
聖 書 : ガラテヤ 5章16節~26節
私たちが救われ、救いに与かり続け、救いの完成に至るまで、神は恵みをもって導いておられます。この神の恵みを信仰をもって受け取り続ける者は、「(御)霊の導きに従って歩み・・・生き・・・前進」(16節、25節)するのです。御霊の導きに従うとは、どのような状態をいうのでしょうか。
1.御霊の実を結んでいる 16~23節
キリスト者には、二通りの生き方があります。まず、自分中心に歩む者の「肉」の働きは、その結果が明らかとなります。すなわち、堕落した本能をむき出しにして、神にも、人にも、社会にも敵対する罪となって現れます(19~21節)。肉は、このような罪を私たちの内に取りこんでしまうのです。
しかし御霊は、行いとか働きではなく品性の実を結ばせてくださいます。御霊の賜物は、各々その人に相応しく与えられますが、御霊の実は「愛であり、喜び、平和、寛容、親切、善意、誠実、柔和、節制」という9つ全てを一人の人に結ばせるのです。このように御霊は、常に内から外へと働いて、「御霊の導きに従って歩」む者を造り変え続けてくださるのです。
2.キリストのものである 24~25節
クリスチャンは、「キリスト・イエスのものとなった人たち」です。確かにキリストの十字架が、私たちをキリストのものとしてくださり、御霊の実を結ぶものとしてくださいました。しかし、自らがそうでない現実に気づく時、再び十字架を見上げるのです。その時十字架が、私たちの罪の身代りのためだけでなく、私たち自らがキリストと共に十字架につけられ(2章19~20節)、その「肉を欲情や欲望もろとも十字架につけて」しまっていることを知るのです。
私たちは、この十字架の恵みを絶えず受け取り直して、御霊の導き従っていくなら、肉の働きは影をひそめていくのです。
キリストのものであり続けるためには、神第一の礼拝生活と信仰生活と教会生活を送ることが大切なのです。