月別アーカイブ: 2021年7月

新しく生まれる(2021.7.25)

聖 書

イエスは答えて言われた。「よくよく言っておく。人は、新たに生まれなければ、神の国を見ることはできない。」(ヨハネ3章3節)

礼拝音源(42.5MB)

礼拝順序

前  奏
招  詞 マタイ11章28節 司 会 者
頌  栄 29 一同起立
祈  祷 司 会 者
主  祷 93-5 A 一  同
交  読 詩編90編
会衆祈祷 一  同
聖  書 ヨハネ2章23節~3章8節
使徒信条 93-4  1A 一  同
牧会祈祷 川原﨑晃主管牧師
宣  教 「新しく生まれる」 川原﨑晃主管牧師
祈  祷
賛  美 475 一  同
感謝献金
奏  楽
頌  栄 27 一同起立
祝  祷 川原﨑晃主管牧師
後  奏

宣教要旨

私たちは、「新しく生まれる」ということに向き合わなければなりません。そして、主イエスが「あなたがたは新たに生まれなければならない」と問いかけられたことに対して(3章3節、5節、7節)、誰もが応答しなければならないのです。

1.上からの力で生まれる
人の心の中をよく知っておられた主イエスは、ユダヤ人たちを信用されませんでした(2章23~25節)。それは、主イエスのなされた御業を見て「先生」と呼んだニコデモに対しても同じでした(3章1~2節)。

しかし、主イエスは、そのようなニコデモと愛と真実をもって対話され、信頼できる者にしようとされたのでした。そのために、神は、人の信心や努力によってではなく、主イエスの十字架と復活を通して「新たに生まれ」るようにされたのです。それはまさに、神の上からの新たな御業でした。人はそれを受け取るだけなのです。

2. 恵みの中を生きる
確かなことは、誰でも「新たに生まれなければ」、神の国を見ることも、神の国に入ることもできません(3節、5節)。すなわち、神の恵みのご支配が見えないし、その恵みの中に入れられて生きることもできません。それを確証させていただけるのは、「水と霊」によるバプテスマによってであり(5節)、聖霊は働き続けて新しい生き方を造ってくださるのです(6~8節)。

信仰とは、信じ生きることです。聖霊は、主イエスによって、私たちにそのような恵みの中を生きるようにしてくださるのです。

 

2021年8月礼拝ご案内・行事予定

礼拝はキリスト教会の最も大切な行事です。私たちのいのちの糧である聖書の言葉がわかりやすく語られます。讃美歌を歌い、祈ります。 神さまを讃え、救いにあずかった感謝を表します。

 

◎ 主日礼拝 (毎週日曜日)
第1礼拝 :AM 9:00 ~ 10:00
第2礼拝 :AM 10:45 ~ 11:45
第3礼拝 :PM 5:00 ~ 6:00
○成人科プログラム (毎週日曜日)
AM9:30 ~ 10:15
楽しい聖書の学び 1階集会室にて
お話は毎回完結します。 いつでもお入りください。
1日(日) 第1聖日 平和聖日礼拝
「祝福の基となって」
ガラテヤ3:6~14
道であるキリスト
ヨハネ14:1~6
鎌野 健一
8日(日) 第2聖日 礼拝
「大いなる喜び・再臨の希望」
1テサロニケ5:1~24
ぶどうの木であるキリスト
ヨハネ15:1~8
鎌野 健一
15日(日) 第3聖日 礼拝
「約束に基づく福音」
ガラテヤ3:15~22
過越
出エジプト12:1~14
増永 茂
22日(日) 第4聖日 伝道礼拝
「やり直しのきく人生」
ヨハネ3:9~16
海を渡る
出エジプト14:10~27
鎌野 健一
29日(日) 第5聖日 礼拝
「新しい自己確立を」
ヨハネ3:16~21
休会

祈祷会 恵みの分かち合い (毎週水曜日)  AM 10:30 ~11:30、PM 7:00 ~ 8:00

祈祷会は毎日の家庭の祈りに加えてクリスチャンが心を合わせて神に問い、神と語る集会です。キリスト教にとって、祈りは「ご利益の祈願」や「瞑想」ではありません。 神さまのみこころが私たち世界に満ちることを願い、さらに救われたことを神さまに感謝するものです。

8月行事予定

■ 1日(第1聖日)平和聖日礼拝 8月誕生者祝福
■ 8 日(第2聖日)特別礼拝
■ 15日(第3聖日)礼拝  役員会
■ 22日(第4聖日)伝道礼拝  バルナバミッション祈祷会
■ 29日(第5聖日)礼拝  振起日合同礼拝(9:15~) ギデオン・ラリー(献金)

9月行事予定

■ 5日(第1聖日)創立75周年記念感謝礼拝 洗礼式 9月誕生者祝福
■ 12日(第2聖日)礼拝 役員会
■ 19日(第3聖日)礼拝
■ 26日(第4聖日)伝道礼拝

神に生きる(2021.7.18)

聖 書

私が今、肉において生きているのは、私を愛し、私のためにご自身を献げられた神の子の真実によるものです。(ガラテヤ2章20節c)

礼拝音源(29.1MB)

礼拝順序

 

前  奏
招  詞 詩編100編1~2節 司 会 者
頌  栄 29 一同起立
祈  祷 司 会 者
主  祷 93-5 A 一  同
交  読 詩編67編
会衆祈祷 一  同
聖  書 ガラテヤ2章19節~3章5節
使徒信条 93-4  1A 一  同
牧会祈祷 川原﨑晃主管牧師
宣  教 「神に生きる」 川原﨑晃主管牧師
祈  祷
賛  美 514 一  同
感謝献金
奏  楽
頌  栄 27 一同起立
祝  祷 川原﨑晃主管牧師
後  奏

日本イエス・キリスト教団
信仰告白

わたしたちは信じて、告白します。

旧新約聖書は、すべて神の霊感を受けて書かれた、誤りのない神のことばであり、キリストをあかしし、福音の真理を示すもので、教会の拠(よ)って立つただ一つの聖典です。聖書は、わたしたちに、神と救いについての完全な知識を与えるものであり、信仰と生活の基準です。

主イエス・キリストによって啓示され、聖書にあかしされた唯一の神は、父と子と聖霊の三位一体の神であり、その本質において同一です。

イエス・キリストは、神のひとり子であり、わたしたちを罪から救うために人となり、身代わりとなって十字架にかかり、ただ一度、ご自身を完全な犠牲(いけにえ)として神にささげ、あがないを成就されました。その復活は、永遠のいのちの保証です。天に昇られた主は、キリストの日に至るまで、わたしたちのためにとりなしておられます。

わたしたちは、神の恵みにより、ただキリストを信じる信仰によって義とされ、罪をゆるされ、神と和解し、新たに生まれて神の子とされます。わたしたちは、キリストの血によってすべての罪からきよめられ、神のものとされ、聖霊のバプテスマを受け、その内住による全き支配によって、主のかたちに変えられていきます。種は再び来られ、わたしたちを、ご自身の栄光のからだと同じかたちに変えて、永遠のみ国をつぐ者とされます。

教会は、キリストのからだであって、神に召された生徒の集まりです。教会は、公同の礼拝を守り、主の命にこたえて、福音を正しく宣べ伝え、聖礼典を行ない、聖徒をととのえ、主に仕えつつ愛のわざを励み、主が再び来られるのを待ち望みます。

わたしたちは、このように信じ、余世の聖徒と共に、使徒信条を告白します。

宣教要旨

私たちは、「何であるか」との問いを受け続けています(教団創立70周年記念誌P25参照)。何よりも「神に生きる」信仰は、律法ではなく、信仰によって生きることです(2章19~20節)。どのような信仰に生きることなのでしょうか。

  1. 十字架を仰ぎ見続ける  3章1節

ガラテヤの諸教会の信徒たちは、キリストの十字架を信じることによって救われました。ところが、信仰生活を行いによって整えようとしたために、十字架から目を離すような愚かな歩みを始めたのです。

このような律法主義的な心理は、自分を慢心したり、逆に足らなさばかりにとらわれたりするといった誘惑となって表れてきます。私たちは、公然と描き出された十字架の恵みに立ち続けるところに(2章20節c)、喜びと自由の恵みがあるのです(エフェソ2章8~10節)。そこから、十字架の恵みが、感謝となってほとばしり出るのです。

2. 聖霊の恵みにあずかり続ける  3章2~5節

パウロは、ガラテヤの諸教会の信徒たちが経験した聖霊の大いなる恵みを思い起こさせています。罪が赦され、義と認められ、キリストと共に十字架につけられ、キリストが内にいきてくださるのは、聖霊を受けたからでした(2節)。その時、福音を聞いて信じたのであり、信仰をもって聞いたのでした。そこから、聖霊によって歩み続け(3節)、力ある業をなされる聖霊の恵みにあずかる生活をしていくのでした(3節)。ところが、その「神の恵みを無駄」にしてしまっていたのです(2章21節、3章4節)。

「神に生きる」ことは、神のために生きるという広がりをもたらします。

 

 

敬虔であること(2021.7.11)

聖 書

イエスが死者の中から復活されたとき、弟子たちは、イエスがこう言われたのを思い出し、聖書とイエスの語られた言葉とを信じた。(ヨハネ2章22節)

礼拝音源(28.8MB)

礼拝順序

 

前  奏
招  詞 イザヤ書43章1節 司 会 者
頌  栄 29 一同起立
祈  祷 司 会 者
主  祷 93-5 A 一  同
交  読 詩編66編
会衆祈祷 一  同
聖  書 ヨハネ2章13~22節
使徒信条 93-4  1A 一  同
牧会祈祷 川原﨑晃主管牧師
宣  教 「敬虔であること」 川原﨑晃主管牧師
祈  祷
賛  美 515 一  同
感謝献金
奏  楽
頌  栄 27 一同起立
祝  祷 川原﨑晃主管牧師
後  奏

宣教要旨

キリスト信仰は、いかに生きるか、いかに死を迎えるかが密接にかかわっています。ところがこの聖書箇所には、死の後に生が続いており、義とされた者が聖化の恵みに導かれる筋道が語られています。

イスラエル民族にとって過越際は、神の救いを記念して感謝する重要な祭りでした。ここにおいて主イエスは、礼拝の民がつくられていくことの大切さを語ることにより、そこに敬虔の気風とも言うべきものが備えられるように勧めておられます。

1.神を畏れ敬う礼拝  13~17節

神殿の一番外側には、神へのささげものを必要とする人たちのために両替人がいました。しかし、両替人は暴利をむさぼって不正をしていたために、主イエスは「私の父の家を商売の家」としていると憤られたのです。敬虔な礼拝の場であるはずの神殿は、外側は立派な宗教行為がされていましたが、内側は形式化し形骸化していたのです。
敬虔とは、神に対する心の態度であり、神を敬い、畏れることです。主イエスの十字架の隣にいた男は、不敬虔から敬虔への見事な転換を経験しました(ルカ23章40節)。
敬虔が教会の気風になるためには、一人ひとりの敬虔さが深められ、基本を大切にした教会の礼拝がつくられていくことが大切なのです(1テモテ4章7節参照)。

2.信仰の目が開かれる礼拝  18~22節

ここに登場するユダヤ人たちは、主イエスが語られることの意味が分かっていませんでした。彼らは、信仰的、霊的な目が開かれていなかったからです。主イエスは、「ご自分の体てある神殿」のことを言われて、十字架に架かられて三日目に復活されることを語られたのです。
礼拝の中心であるキリストに結びついた一人ひとりがキリストの体です(1コリント6章19~20節)。このキリストへの信仰に目が開かれた礼拝者が求められているのです。

聖化の恵みに(2021.7.4)

聖 書

私はキリストと共に十字架につけられました。生きているのは、もはや私ではありません。キリストが私の内に生きておられるのです。(ガラテヤ2章19節b~20節b)

礼拝音源(27.1MB)

礼拝順序

 

前  奏
招  詞 詩編46編11節 司 会 者
頌  栄 29 一同起立
祈  祷 司 会 者
主  祷 93-5 A 一  同
交  読 詩編62編
会衆祈祷 一  同
聖  書 ガラテヤ2章17~21節
使徒信条 93-4  1A 一  同
牧会祈祷 川原﨑晃主管牧師
宣  教 「聖化の恵みに」 川原﨑晃主管牧師
祈  祷
7月誕生者祝福 エフェソ2章8節、10節
賛  美 521 一  同
感謝献金
奏  楽
頌  栄 27 一同起立
祝  祷 川原﨑晃主管牧師
後  奏

宣教要旨

キリスト信仰は、いかに生きるか、いかに死を迎えるかが密接にかかわっています。ところがこの聖書箇所には、死の後に生が続いており、義とされた者が聖化の恵みに導かれる筋道が語られています。

1.キリストと共に十字架につけられた  19節
「人が義とされる」ことは、律法を無視することでもなく、また再び律法の奴隷となることでもなく、福音の自由の恵みに生きることへと導かれます(17~18節)。律法によれば、私(たち)は罪人です。キリストは、その罪のさばきを十字架で代わって負ってくださったことにより、私(たち)は「律法に死にました」(19節a)。
私(たち)は、この「キリストと共に十字架につけられ」一つとされたことによって、十字架に死んでくださったキリストの支配下に入り、復活されたキリストに生きていただくのです(19節b)。ここから、キリストによる自由と喜びに生きることを知るのです。

2.キリストが私の内に生きておられる  20節
私(たち)は、キリストと共に十字架につけられたことによって、自分がなくなるのではありません。生まれながらの古い自己中心的な自我性が十字架につけられてキリストと共に死んだことにより、キリストと一つに結び合わされ「キリストが私の内に生きておられる」という新しい私(たち)が生きるのです。それは、キリストが私(たち)を支配していてくださることです(19節b~20節b)。
具体的には、いつでも、神の愛とキリストの真実によって生かされているという自覚をもって、それに全く信頼して生きることです(20節c)。