月別アーカイブ: 2021年8月

新しい自己確立を(2021.8.29)

聖 書

しかし、真理を行う者は光の方に来る。その行いが神にあってなされたことが、明らかにされるためである。(ヨハネ3章21節)

礼拝音源(37.7MB)

礼拝順序

 

前  奏
招  詞 2コリント5章17節 司 会 者
頌  栄 29 一同起立
祈  祷 司 会 者
主  祷 93-5 A 一  同
交  読 詩編100編
会衆祈祷 一  同
聖  書 ヨハネ3章16~21節
使徒信条 93-4  1A 一  同
牧会祈祷 川原﨑晃主管牧師
宣  教 「新しい自己確立を」 川原﨑晃主管牧師
祈  祷
賛  美 303 一  同
感謝献金
奏  楽
頌  栄 27 一同起立
祝  祷 川原﨑晃主管牧師
後  奏

宣教要旨

神が「愛された」ことは、御子イエスを十字架の死をもって罪を贖うために「お与えになった」事実に着目するときに分かります(16節)。私たちは、この主イエスを通して自分自身を見せていただき、信仰の真の自己確立をさせていただきたいものです。

1.滅びないで   16節
「滅びる」とは、失われた存在といった意味があります(ルカ15章4節、8節、24節、19章10節)。神は、滅びの道を進んでいた私たちを御自分の手元から失いたくないために、愛の限りを尽くされました。そして、「御子を信じる者」に主イエスにある命に抱かれて生きるようにしてくださったのです。
このことが分かれば、神の愛の懐から離れた生き方はできませんし、罪と誘惑の中に留まりたくなくなるのです。神の愛の現れである御子イエスを受け入れない頑なさはないでしょうか。その恵みを忘れてしまっていることはないでしょうか。

2.裁かれることなく  17から21節
「裁く」とは、ふるい分ける、区別するといった意味があります。神は、御子イエスを受け入れようとしない者を捨てることなく、逆に受け入れてくださり、御子を与えてくださったのです。ただ、イスカリオテのユダのように、「光よりも闇を愛し」、どこまでも御子を信じ受け入れないことが「裁きになっている」のです。厳粛な事実です。
御子イエスを信じ任せて安んじるならば、将来を先取りして生きる者になります。
そして、誠実に御言葉の真理を生き方の物差しとして生きることができるように、神が導き歩ませてくださいます(21節)。そこには、神の愛が染み透っています。

礼拝ご案内・行事予定(2021年9月)

礼拝はキリスト教会の最も大切な行事です。私たちのいのちの糧である聖書の言葉がわかりやすく語られます。讃美歌を歌い、祈ります。 神さまを讃え、救いにあずかった感謝を表します。

 

◎ 主日礼拝 (毎週日曜日)
第1礼拝 :AM 9:00 ~ 10:00
第2礼拝 :AM 10:45 ~ 11:45
第3礼拝 :PM 5:00 ~ 6:00
○成人科プログラム (毎週日曜日) AM9:30 ~ 10:15
楽しい聖書の学び
1階集会室にて お話は毎回完結します。
いつでもお入りください。
5日(日) 第1聖日 創立記念75周年記念礼拝
「キリストにあって」
ガラテヤ3:23~29
休会
12日(日) 第2聖日 礼拝
「キリストにはかえられません」
ヨハネ3:22~36
休会
19日(日) 第3聖日 礼拝
「命あふれる人生」
ヨハネ4:1~18
休会
26日(日) 第4聖日 伝道礼拝
「満ち足りた人生」
ヨハネ4:19~26
休会

祈祷会 恵みの分かち合い (毎週水曜日)  AM 10:30 ~11:30、PM 7:00 ~ 8:00

祈祷会は毎日の家庭の祈りに加えてクリスチャンが心を合わせて神に問い、神と語る集会です。キリスト教にとって、祈りは「ご利益の祈願」や「瞑想」ではありません。 神さまのみこころが私たち世界に満ちることを願い、さらに救われたことを神さまに感謝するものです。

9月行事予定

■ 5日(第1聖日)創立75周年記念感謝礼拝 9月誕生者祝福
■ 12日(第2聖日)礼拝 役員会
■ 19日(第3聖日)伝道礼拝
■ 26日(第4聖日)礼拝

10月行事予定

■ 3日(第1聖日)世界聖餐日礼拝 聖餐式 10月誕生者祝福 避難訓練 役員会
■ 10日(第2聖日)聖会・神学校デー礼拝
■ 17日(第3聖日)長寿祝福礼拝 ジュニアジャンボリー(神戸中央)
■ 24日(第4聖日)礼拝  DAYキャンプ(中央CS)
■ 31日(第5聖日)オープンチャペル(伝道礼拝)

やり直しのきく人生(2021.8.22)

聖 書

神は、その独り子をお与えになったほどに、世を愛された。御子を信じる者が一人も滅びないで、永遠の命を得るためである。(ヨハネ3章16節)

礼拝音源(31.7MB)

礼拝順序

前  奏
招  詞 マルコ1章15節 司 会 者
頌  栄 29 一同起立
祈  祷 司 会 者
主  祷 93-5 A 一  同
交  読 詩編98編
会衆祈祷 一  同
聖  書 ヨハネ3章9~16節
使徒信条 93-4  1A 一  同
牧会祈祷 川原﨑晃主管牧師
宣  教 「やり直しのきく人生」 川原﨑晃主管牧師
祈  祷
賛  美 303 一  同
感謝献金
奏  楽
頌  栄 27 一同起立
祝  祷 川原﨑晃主管牧師
後  奏

宣教要旨

神は、私たちを愛しておられます。その神の愛によって「永遠の命」に与ることを疑ったり、否定したりしているところがないでしょうか。私たちを新しく生まれ変わらせ、やり直す人生へと変えてくださるのは、イエス・キリストです。

1.キリストの十字架を仰ぎ続ける  10~14節
主イエスは、「新たに生まれなければならない」(3節、5節、7節)と「地上のこと」を語られ(12節)、「人の子も上げられなければならない」(14節)と「天上のこと」を語られました(12節)。主イエスは、そのことを具体的に分からせるために「民数記21章4~9節」を引用して説き明かされました。
人が自らの罪を解決できないまま、その罪責を訴えられるままに苦しみ、死の恐れの虜のままにいるところから解き放たれるのは、主イエスの十字架と復活の事実にあることを知って、ただ主イエスを信じ仰ぎ見続けることです。

2.キリストの命にあずかり続ける  15~16節
このように、主イエスによって現された神の愛を受け止めて歩んでいくためには、信仰が必要です。信仰とは、主イエスご自身を「信じる」(ヨハネ1章12節)ことであり、食するように「受け入れる」(同6章51節)ことであり、ぶどうの木とその枝のように「つながって」(同15章5節、7節、9節)いることです。それは、一時的なことでなく、継続し続けていることが大切です。
それによって「永遠の命を得」続け、「神の国」に入れられて永遠の限りない命を与えられ続け、神と共に生きるのです。全ての救いの主導権は、神ご自身です。

 

約束に基づく福音(2021.8.15)

聖 書

しかし、聖書はすべてのものを罪の下に閉じ込めました。約束がイエス・キリストの真実によって、信じる人々に与えられるためです。(ガラテヤ3章22節)

礼拝音源(30.1MB)

礼拝順序

前  奏
招  詞 ローマ12章1節 司 会 者
頌  栄 29 一同起立
祈  祷 司 会 者
主  祷 93-5 A 一  同
交  読 詩編96編
会衆祈祷 一  同
聖  書 ガラテヤ3章15~22節
使徒信条 93-4  1A 一  同
牧会祈祷 川原﨑晃主管牧師
宣  教 「約束に基づく福音」 川原﨑晃主管牧師
祈  祷
賛  美 449 一  同
感謝献金
奏  楽
頌  栄 27 一同起立
祝  祷 川原﨑晃主管牧師
後  奏

宣教要旨

主は、祝福のうちに人が恵みと平和をいただいて歩むことを願っておられます(民数記6章24~26節)。パウロは、その「祝福の基」となって歩んだアブラハムを根拠にして(創世記12章2節)、キリストの福音を明らかにし この手紙は、イエス・キリストの十字架の福音を信じる信仰によって救われる、とのメッセージが繰り返し語られています。この神の救いの約束は、変更されることなく、変化させられることもありません。

1.神の恵みの約束  15~18節
人間社会の「契約(遺言)」と同じように、神とアブラハムとの「約束」は無効になることなく、モーセの律法によって破棄されることもありません(15~17節)。神の約束を無条件に信じることによって神に受け入れられ、それを受け継ぐという約束は不変で永遠です(創世記15章5~6節、17章7~8節)。それは、神からの「恵み」によります(18節)。
この神の恵みの約束は、「一人の人」イエス・キリストにおいてすべての人への確かな恵みの約束となりました(15節)。すなわち、イエス・キリストとその救いを信じる信仰によって、神の国の恵みを受け継いでいくのです。

2.神の真実な約束  19~22節
では、神の戒めである「律法とは何なのでしょうか」(19節)。律法は、「約束を受けた子孫」のキリストが来られるときまで有効とし、人々の神に対する違反を明らかにし
(22節a)、天使たちやモーセを通して人々に与えられました(使徒言行録7章38節)。
律法は、人を救うことも、人の命を支えることもできませんし、福音への渇きを抱かせるものです(21節)。神の救いの福音は、十字架と復活の御業を通して明らかにされた「イエス・キリストの真実によって、信じる人々に与えられる」のです(22節b)。ですから、真実なキリストに信仰によって結び合わされ、神の御心の中を生きていくのです。

大いなる喜び・再臨の希望(2021.8.8)

聖 書

主は、私たちのために死んでくださいました。それは、私たちが目覚めていても眠っていても、主と共に生きるためです。(1テサロニケ5章10節

礼拝音源(26.73MB)

礼拝順序

前  奏
招  詞 ローマ13章12節 司 会 者
頌  栄 29 一同起立
祈  祷 司 会 者
主  祷 93-5 A 一  同
交  読 詩編95編
会衆祈祷 一  同
聖  書 1テサロニケ5章1~24節
使徒信条 93-4  1A 一  同
講師紹介
牧会祈祷
川原﨑晃主管牧師
宣  教 「大いなる喜び・再臨の希望」 福本行宏 師
祈  祷
賛  美 474 一  同
感謝献金
奏  楽
頌  栄 27 一同起立
祝  祷 川原﨑晃主管牧師
後  奏

宣教要旨(第一礼拝、第二礼拝)

1.その日、その時は主の他に誰も知らない。 1~11節
主イエスの再臨は、(1)盗人のように来る。(2)人々が「平和だ、何事も無く、平穏無だ」と嘯いている時に、突如として起きる。(3)妊婦に産みの苦しみが臨むように。
私たちの人生に、世界には、予期せぬ出来事が突如として起きることがある。主の再臨される時も、予期せぬ時に起きると聖書は宣告している。

【その結果】
(1)神を蔑ろにして生きて来た人たちには、逃れることが出来ない破滅が襲ってくる。
ノアの大洪水、ソドムゴモラ、栄華を極めた諸々の国々、町々など、世界各地に起きている災害、その殆どが何の予告も無く突如として起きている。主の再臨はそれ以上の出来事、不信仰者で破滅から逃れることが出来る者は皆無である。
彼らは自分の頭上に燃える炭火を積み重ねている。キリストの十字架による罪の赦しも、復活による永遠の命も、主の再臨も、世界の滅びも皆、神の言葉である聖書の宣告であるから、神の御前にひれ伏して悔い改めることが肝心である。決して政治学・教育学・社会学・倫理学・心理学・諸々の思想などによるのではない。

(2)どんな時にも主を信じて生きて来た人は、キリストの十字架による贖いの故に、誰一人として破滅に陥る者はいない。
その為に常に『目を覚まして身を慎んでいなさい』と聖書は勧めている。キリストの十字架の愛と赦しを思い起こす。キリストガ死とサタンとその王国を打ち負かして復活したことを思い起こす。神の国の相続人とされたこと、その保証として御霊の内住を㥅かったことを思い出す。神の御座で執り成しておられるキリストの熱愛を思い起こす。主の再臨を待ち望む希望が与えられていることを思い起こす。

2.キリスト信徒の務め。 12~24節
(1) 愛の労苦を共にしている指導者を重んじて支える。
(2) 互いに尊敬と平和を堅持する。
(3) 怠惰な者を諭す。祈り・みことば・礼拝・献金・奉仕などを怠っている者を愛と寛容を持って諭す。
(4) 思考で悩んでいる者を温かく節度を持って慰める。
(5) 悪を持って悪に報いず、善を持って悪に打ち勝つ。
(6) 常に喜び、絶えず祈り、すべてのことを感謝する。これは神が私たちに臨んでいることで、みこころに叶うことですから、不可能な事では無い。
(7) 御霊を悲しませたり、働きをけしてはなりません。
(8) みことばを重んじ、しっかり蓄えなさい。
(9) 世俗的な事柄に執着しては為りません。

キリストの再臨の時、聖さと平和を保てるように。真実な神がそれを保証してくださっていることを忘れないように。

宣教要旨(第三礼拝)

ステファノは、最初のペンテコステの日に居合わせた120人のひとりでした。彼の生涯を象徴する言葉が「聖霊に満たされ」(6章3節、5節、10節、7章55節)です。聖霊に満たされた彼は、絶えず見ていたものがあり、それが勝利の秘訣でした。

1.天を見つめていた  55節

キリストの福音に敵対する者たちの罪を指摘したステファノに向かって、人々は激しい怒りを燃やし、憎悪をむき出しにしてきました。その時彼は、まず「天を見つめ」ていたのです。私たちが日々見つめているものが、その人を表し、その人を決めます。
私たちは、ここ一番、また日々に何を見つめているでしょうか。

2.神の栄光と着座されたキリストを見ていた  55節

そうした中で、ステファノは、冷静かつ落ち着いて復活され生きておられるキリストを見ていました。聖霊に満たされていると、人の憎悪や怒りの中にあっても、臨在されるキリストが見えるのです。見なくてもよいものは見えなくなり、見なければならないキリストがいつも見えるのです。

3.見たものを証しし、執り成している  56節、59~60節

生ける臨在のキリストを見ている者は、人が聞こうが聞くまいが、認めようが認めまいが、そのことを訴え、勧め、証しするのです。ステファノは、そうせずにはいられなかったのです。これこそ、聖霊の力が可能にする働きであり、クリスチャンの使命です。
私たちは、さらに神と深く交わり、キリストの愛と力を知って、聖霊に満たされ続けていることが大切なのです(エフェソ5章18節)。

 

祝福の基となって(2021.8.1)

聖 書

それで、信仰による人々は、信仰の人アブラハムと共に祝福されるのです。(ガラテヤ3章9節)

礼拝音源(26.73MB)
※機器のトラブルで、最後の賛美の音声が途切れております。申し訳ございません。

礼拝順序

前  奏
招  詞 ヨハネ4章23節ab 司 会 者
頌  栄 29 一同起立
祈  祷 司 会 者
主  祷 93-5 A 一  同
交  読 詩編91編
会衆祈祷 一  同
聖  書 ガラテヤ3章6~14節
使徒信条 93-4  1A 一  同
牧会祈祷 川原﨑晃主管牧師
宣  教 「祝福の基となって」 川原﨑晃主管牧師
祈  祷
8月誕生者祝福 1ペトロ5章10節
賛  美 441 一  同
感謝献金
奏  楽
頌  栄 27 一同起立
祝  祷 川原﨑晃主管牧師
後  奏

宣教要旨

主は、祝福のうちに人が恵みと平和をいただいて歩むことを願っておられます(民数記6章24~26節)。パウロは、その「祝福の基」となって歩んだアブラハムを根拠にして(創世記12章2節)、キリストの福音を明らかにしました。

1.祝福の約束にあずからせる  6~9節

キリストを信じる信仰によって義とされるという福音は、すでにアブラハムにおいて実証されていました(6節、創世記15章6節)。そして、そののち神の契約の民となる割礼を受けたのです(創世記17章9節以下)。真のアアブラハムの子孫は、割礼と律法に生きる者ではなく、「信仰によって生きる」のです(7節)。

しかもアブラハムは、選民イスラエルの父として信仰による祝福を受けたように、「すべての異邦人」もアブラハムと共に、信仰によって祝福されるのです(8~9節)。信仰による人は、霊的な祝福にあずかるのです(マタイ3章8~9節参照)。

2.呪いを祝福に変えられた  10~14節

律法は祝福に反するものではありません(ローマ7章12節、14節)。したがって、律法によって完全に生きるのであれば、神の祝福の中を生きることになります。ところが、人は誰であっても律法の行うことによって神に十分受け入れられる生き方はできず、呪いを受けるものとなったのです(10~12節)。

しかし、そのような呪いを祝福へと変えてくださったのは、私たちに代わって呪いを受けてくださったキリストの十字架によってでした(13~14節)。「正しい者は信仰によって生きる」のです(11節)。それゆえに、神への感謝の応答の日々を生きるのです。