日別アーカイブ: 2020.05.17

新しい酒は新しい革袋に(2020.5.17)

聖書

また、だれも、新しいぶどう酒を古い革袋に入れたりはしない。そんなことをすれば、ぶどう酒は革袋を破り、ぶどう酒も革袋もだめになる。新しいぶどう酒は、新しい革袋に入れるものだ。(マルコ2章22節)

礼拝音源(23.4MB)

礼拝順序

前  奏
招  詞 エゼキエル36章26節a,28節b 司 会 者
頌  栄 29 一同起立
祈  祷 司 会 者
主  祷 93-5 A 一  同
交読詩編 15編1~5節
会衆祈祷 一  同
聖  書 マルコ2章18~22節
使徒信条 93-4 1A 一同起立
賛  美 56 一同起立
牧会祈祷 石﨑善土伝道師
宣  教 「新しい酒は新しい革袋に」 石﨑善土伝道師
祈  祷
賛  美 403 一同起立
感謝献金
奏  楽
頌  栄 27 一同起立
祝  祷 川原﨑晃主管牧師
後  奏

宣教要旨

ファリサイ派の人々は、習慣に従って断食をしていた。当時の信仰心の表明として、ごく普通のことでした。洗礼者ヨハネの弟子たちは、師が捕らえられた(1:14)ことを悲しみ、断食をしていました。それなのに、「なぜ、あなたの弟子たちは断食しないのですか」というのが、イエスに向けられた質問でした。

1.花婿のたとえ
批判に対して、主は今の状況を結婚の祝いの宴にたとえられました。イエス自身を花婿とし、花婿が共にいる喜びの席で、悲しみを表明する断食を行うのはふさわしくないとされました。表面的な行為としての断食を嫌われました。
花婿であるイエスが取り去られ時が来るとして、十字架に架けられる時が来ることを暗に預言され、その時には、イエスの弟子たちも断食をすると言われました。

2.布と革袋のたとえ
イエスは続けて、新しい時代が来ていることを、たとえを通して伝えられました。
新しい布は、洗うと縮んでしまう(最近の布はそうでもないようですが)。新しい布を、縮み切っている古い服に継ぎ当てると、新しい布が縮んで裂けてしまう。
新しい酒(ぶどう酒)は、発酵が進むとガスが出てくるため、伸びきった古い革袋に入れると、ガスによる膨張に耐えられず、袋が裂けてしまう。そうすれば、酒も袋もだめになってしまう。
この2つのたとえを通して、イエスのもたらした新しい教えと救いは、従来のファリサイ派や洗礼者ヨハネの弟子たちの生き方には収まらないと言われました。

3.従来の価値観との対立
上の三つ目のたとえは、当時のことわざとして使用され、私たちのまわりでも使用されることがあります。しかし、その中心にイエスがいるのといないのでは、全く違う意味になります。イエスのもたらした救いは、旧約聖書の時代から神によって計画され、約束されていたものでした。しかし、神の御心を知り、従うところから離れてしまっていた人々には、異質で新しいものとして捉えられました。そのため、イエスの教えは、彼らの教えと対立しました。それは、ファリサイ派や洗礼者ヨハネの弟子たちだけでなく、世界中の全ての宗教や文化と対立し、今も続いています。
私たちは、この地上で生きる限りは多かれ少なかれ、息苦しさを覚えます。それは、「あなたがたは、わたしが地上に平和をもたらすために来たと思うのか。そうではない。言っておくが、むしろ分裂だ。」(ルカ12:51)ともあるように、イエスの教えと社会の価値観が対立し、私たちの中にある、この世に造られた価値観とも対立するからです。しかし同時に、イエスに従うとき、この世の価値観から解放されます。
息苦しさを感じた時こそ、神に近づくチャンスです。ありのままの本音を神にぶつけ、表面的ではなく御心を知り、あわれみと愛を受けていることを知り、日々の生活を喜ぶものと、ならせていただこうではありませんか。