月別アーカイブ: 2016年10月

あなたの名を呼ぶ神(2016.10.30)

宣教題  「あなたの名を呼ぶ神」        宣教 大嶋重徳先生
聖 書  ルカ19章1~10節

1.ザアカイの的外れ
この時代に徴税人をやるということは人々から嫌われるとわかっていて、自ら選んでしていた仕事でした。なぜザアカイは徴税人という仕事をしていたのでしょうか。裕福であったが幸福ではなかったザアカイの人生は私たちの歩みと重なるものがあります。

2.イエスを見ようとして
ザアカイはこの日、「イエスがどんな人か見ようとしたが」とあり、主イエスに会って話そうとしてこの場所に来たのではありません。しかし自分から主イエスに声を掛けようとはしなかったザアカイに、主イエスから声をかけられました。

3.ザアカイ、今日あなたの家に泊まることにしてある
「ザアカイ」と、主イエスはその人個人の大切な名を呼ぶのです。主イエスとザアカイとの出会いは、大切な存在として、名前を呼び、愛の目で見つめる出会いでした。今朝も主イエスは私たちの名前を呼んでくださっているのです。

4.急いでその木から降りてきなさい
「急いで降りて来なさい」。ザアカイが登ったいちじく桑の木。そこにはザアカイと主イエスとの間に木の高さほどの距離がありました。それは自分からは主イエスに声を掛ける事はしない距離でした。そこから主イエスは「降りて来なさい」と言われたのです。今日、あなたと主イエスとの間にある距離とは何でしょうか。

5.救いがこの家に来ました
主イエスとの出会いでザアカイは、「だれかから何かだまし取っていた・・・」と自らの罪を認めました。それはザアカイを愛し、ザアカイと共にいてくださる主イエスの愛を受け取ったからでした。主イエスがザアカイを招かれた場所は、ザアカイの家でした。信仰とは自分の生きている場所から逃げ出すことではありません。自分の生きているその場所で主イエスと共に生きていくことなのです。

礼拝ご案内・行事予定(2016年11月)

礼拝はキリスト教会の最も大切な行事です。私たちのいのちの糧である聖書の言葉が、わかりやすく語られます。讃美歌を歌い、祈ります。 神さまを讃え、救いにあずかった感謝を表します。

◎ 主日礼拝 (毎週日曜日)
第1礼拝 :AM 9:00 ~ 10:15
第2礼拝 :AM10:45 ~ 12:00
第3礼拝 :PM 7:00 ~ 8:00
○成人科プログラム (毎週日曜日)
AM9:30 ~ 10:15
楽しい聖書の学び 1階集会室にて
お話は毎回完結します。
いつでもお入りください。
6日(日) 第1聖日 聖徒の日記念礼拝「福音の冠」
1テサロニケ2:17~20
ダニエル三人の若者たち
ダニエル3:8~25
鎌野 健一
13日(日) 第2聖日 幼児成長祝福聖餐礼拝「神の言葉を聞いて」
ルカ11:27~32
祈りと証し
20日(日) 第3聖日 礼拝 「主がおられる所へ行く」
イザヤ58:1-14、マタイ25:40
エステル
エステル4:1~7

大塚 章信
27日(日) 第4聖日 第一待降節伝道礼拝 「あなたを待っておられる主」
ルカ2:6~7、黙示録3:20
すべての人を照らす光
ヨハネ1:1~5、9~14
真田 重治

祈祷会 恵みの分かち合い (毎週水曜日)  AM 10:30 ~12:00、PM 7:00 ~ 8:30

祈祷会は毎日の家庭の祈りに加えてクリスチャンが心を合わせて神に問い、神と語る集会です。キリスト教にとって、祈りは「ご利益の祈願」や「瞑想」ではありません。 神さまのみこころが私たち世界に満ちることを願い、さらに救われたことを、神さまに感謝するものです。

11月行事予定

6日(第1聖日)聖徒の日記念礼拝 11月誕生者祝福  召天者合同記念会
13日(第2聖日)幼児成長祝福礼拝 聖餐式 バルナバ・ミッション祈祷会  青年会さんび集会
20日(第3聖日)収穫感謝日礼拝 教会コイノーニア概略説明 大掃除
27日(第4聖日)待降節・伝道礼拝 教会コイノーニア総裁説明  教師研修会(3)

12月行事予定

4日(第1聖日) 待降節礼拝 聖餐式 12月誕生者祝福
11日(第2聖日) 待降節礼拝  Happy Sheep  役員会  各CSクリスマス祝会
18日(第3聖日) クリスマス感謝礼拝 洗礼式  23日 JYクリスマス祝会
24日(土) クリスマス イブ礼拝
25日(第4聖日) クリスマス伝道礼拝

低いところに来られる神(2016.10.23)

宣教題  「低いところに来られる神」        宣教 鎌野直人協力牧師
聖 書  イザヤ57章14~21節 フィリピ2章8節

教会に来ると「すばらしい信仰者になるように」というプレッシャーを感じる。いつも神に従順で、なにごとがあっても神に信頼し、揺れることがない人を神は祝福し、つまずきとなるものを取りのけてくださる、と考える。

1. 低くされるべき民
神が祝福される人々は思っているほど信仰的ではない。むしろ、「貪欲」(57章17節)で、「強欲で飽くことを知らない」(56章10節)人々だ。その罪のゆえに、主は怒り、その人を打ち、自らを隠す。それでも、彼らは背き続けた(57章17節)。この後、彼らは打ち砕かれ、へりくだらさざるをえない状況に追い込まれた。それでも、主は彼らを「わたしの民」(57章14節)と呼ばれている。

2. 低いところに来られる神
神は「高く、あがめられ」(57章15節)る方である。イザヤ書6章においてイザヤと出会い、預言者自身が自らの汚れたことを認めざるを得ないほどの方である。この神にふさわしい者とならねばならない、と常識は語る。ところが、この方は「打ち砕かれ、へりくだる霊の人と共に」住む(57章15節)神である。へりくだらざるを得ない者が弱り果てていることを知り、むしろ彼らを生かし、いやすために、神は低いところに来られる。砕くことではなく、「わたしの民」を造り変え、生かし、働きへと備えることがその目的だ。

3.平和の到来
神は平和の到来を語る。くちびるの汚れた者にさえ、くちびるの果実を創造される。砕かれた者をいやし、導き、回復し、平和を与える(57章19節)。ただし、神は拒み続けるかたくなささえも、許容される。
この神の姿を、高い方であったのに、十字架の死に至るまで低くなられたキリスト(ピリピ2章8節)に見出す。取税人や罪人たちのところに行き、砕かれた彼らと共に食事をされた方だ。この方を拒絶し続けた者たちもいた。しかし、低くなられたキリストを喜んで迎え入れる者を、神は信仰者と呼び、そのような者のところまで来てくださる。

もっと強いお方(2016.10.16)

宣教題  「もっと強いお方」          宣教 川原﨑晃牧師
聖 書  ルカ11章14~26節

洗礼を受けるということは、救われているということです。救われた人は、どのような生き方をするか、日常生活の中でどのような具体的な姿をとるのかが問われます。この聖書箇所からは、「もっと強い者」(22節)と言われている主イエスの救いとは何かを語っています。

1.神の恵みの中に取り戻される
主イエスは、悪霊のものとされて自由を奪われ、言葉を奪われ、交わりを持つことができない状態にいた人を神の恵みによる救いの中に取り戻され、神との交わり、人との交わりを回復されました(14節)。群衆は、それが神に敵対する悪霊の頭によってなされたと思っていましたので、主イエスは、そのような内輪もめによるのでないことを指摘されたのです(15~19節)。
悪霊は罪に捕らわれている人を告発し、神から引き離そうとしますが、主イエスはそこから神のものとするために取り戻してくださるのです(20~22節、黙示録12章9~11節)。悪霊よりも「もっと強い」主イエスの十字架の血のゆえに、人を告発する悪霊の武具は通用しなくなるのです。それゆえに、神の前に不安はないのです。

2.神の側に立ち続ける
主イエスは、全能の愛の力をもって、人を救いに入れてくださいました(20節)。ですから、その救いの中に留まり続けることが大切です。すなわち、悪霊の側に立つのでなく、神の側に立ち続けていることです。そこには、中間の状態また空白の状態はないのです(24~26節)。
主イエスに結ばれて神の側に立ち続ける者は、主イエスに味方し、主イエスと一緒に集める者です(23節)。私たちは、主イエスが流してくださいました十字架の血によって主のものとされていることを喜び、主イエスと一緒に神の民を集める伝道の働きに加えられて歩むのです。

神の言葉が働く(2016.10.9)

宣教題  「神の言葉が働く」          宣教 川原﨑晃牧師
聖 書  1テサロニケ2章13~16節

神の福音は、それをゆだねられた人を通して語られます(2章4節)。そして、その福音は、聞いた人によって様々な受け取り方が生じます(同1~2節)。福音を聞いて受け入れたテサロニケの人々には、神の言葉が生き生きと働いていました。私たちは、語られる神の言葉に対して、どう応答したらよいのでしょうか。

1.神の言葉として受け入れる  13節b
神は、聖霊によって御言葉を与えてくださり、それを受け入れた人の内に聖霊が働きかけて信仰へと導いてくださり、励まし、慰め、力づけくださり、軌道修正してくださり、問いかけてくださり、チャレンジを与えてくださいます。何よりも、神の言葉を聞いて、イエスを救い主と信じる信仰を持たせてくださいます。これが、神の言葉として受け入れるということです。
アテネの人たちに見るように、好奇心からの求道者ではなくて(使徒言行録17章19~21節、32節)、テサロニケの人たちのように、真摯な求道者とならせていただきましょう(13節b)。そうすれば、人格的、内面的に変えられる経験するのです。

2.神の言葉として全く信頼する  13節c
テサロニケの信徒たちは、神の御思いと御心、そして神の将来の御計画をも知るようになっていきました。そして、具体的な態度や行動にも変化が見られるようになっていったのです。すなわち、主イエスとその御言葉を信じることにより、聖霊が神の言葉とともに働いて、新しく造り変えられ続けていきました。それに対して、彼らを主イエスから引き離そうとしたり、救いの恵みから落とそうとしたりするサタンの働きが激しくなっていくことを経験したのです(14~16節)。しかし、彼らは、神の言葉に信頼し続けました。
主なる神は、聖書の御言葉を通して、神の言葉を信頼する者の心のうちに働きかけ、その人をご自身の御心に従わせようとあらゆる方法をもって導かれます。

福音を生きる(2016.10.2)

宣教題  「福音を生きる」          宣教 川原﨑晃牧師
聖 書  1テサロニケ2章1~12節

「福音」は(2、4、8、9節)、主イエスの十字架と復活に対する信仰によって、永遠の滅びから永遠の救いへと導くものです。主イエスは、ご自身が信頼され、信任されて「福音をゆだねられている」(4節a)人を通して福音を語らせなさいます。そして、その福音を生きる人の証しを用いられます。どのように生きるのでしょう。
1.神に喜ばれることを  4節
パウロたちは、激しい苦難の中でも「神に勇気づけられ」福音を語りました(1~2節)。その動機は、「神に喜んでいただくため」ということにありました(4節b)。その結果、福音を語ることが、自分の喜びとなり、人にも喜びを与えることとなったのです。それが生活姿勢にも表れています(5節~7節、9節)。
福音を生きる者は、この動機の心をいただいているか神から吟味されるのです。
2.自分自身を分かち与えることを  8節
パウロは、福音を伝える人々をいとおしく思う母のような心をもって愛し抜きました(7節b~8節)。福音を分かち合うことは、「自分の命さえ喜んで与えたいと願ったほどに」というように、福音を生きることにつながるのです。
福音を語り証しする者は、主の愛をいただいて、人に対して自分自身を分かち合うことが必要なのです。
3.きよい生活によって裏打ちされていることを  10節
パウロは、父のような心をもって一人一人に権威ある指導をしました(11~12節)。しかし、それには、主イエスによってきよくされて生きるということに裏打ちされていることが大切です(10節)。それは、欠点がない者であるといっているのではなく、「非難されること」がないという点において、動機と心の願いにおいて純粋で、愛において誠実であるということです。
福音を語る者は、このように福音を生きることが必要なのです。