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教会の使命

主の道を守る民(2011.10.9)

宣教題  : 「主の道を守る民」   宣教:   鎌野 直人 協力牧師
聖    書  : 創世記 18章16節~22節
教会の宣教のわざは、決してきれいごとですむようなものではない。教会にはソドムやゴモラのような世界に祝福を届ける使命が与えられているからだ。

1.ソドムとゴモラの現実
ソドムとゴモラは邪悪で、主に対して多くの罪を犯していた(13章13節)。そして、町から天に上る公正な審判を求める叫び声は大きい(18章20節)。正義が行われず、立場の弱い人々が食い物にされていたからだ。主はそこに行かれ、現実を知り、介入される(18章21節)。ソドムとゴモラは現代日本を映している。

2.主の道を守る民
主はアブラハムを選ばれた。ソドムとゴモラと無縁ではない場所で、彼自身がソドムや他の神々の道ではなく、主の道を守るためである。さらに、彼の子孫たちも主の道を守って正義に生きるよう、彼らに命令し、教えることを主は彼に求めた(19節)。宣教のために、主への従順に生きる人々が継続して起こされ、主の道を守ることが伝統として引き継がれる必要がある。つまり、イエスの命令のすべてを守るように教えることによってイエスの弟子を養成することは、教会の宣教に必須である(マタイ28章18~19節)。

3.主の祝福を届ける
宣教のゴールは、アブラハムとその子孫たちが主に従って歩むことではなく、主が結ばれた約束、つまり世界の民の祝福の実現だ(18章19節)。そして、ソドムへの宣教を願っておられたからこそ、主はアブラハムに介入の機会を与えた(18章17節)。そして、アブラハムは大胆にソドムの民のために主ににじり寄り、主はその交渉に応じられた(18章23~32節)。
神の恵みによって選ばれた私たちは、神の宣教のわざが教会によって実現するため、主に従うよう招かれている。だから、主がソドムへ下って行かれたように(18章21節)主の道を守る者として積極的にこの地に関わっていこう。

造られたものを治める民(2011.7.24)

宣教題  : 「造られたものを治める民」   宣教:   鎌野 直人  協力牧師
聖    書  : 創世記  1章26節~28節
東日本大震災に続く福島第一原発の事故は、福島県一帯を中心に甚大な土壌汚染を生み出している。環境を破壊している人の現実に対して教会はどのように向き合うことが求められているのだろうか。

1.神は天地を創造された
「初めに、神は天地を創造され」(創世記1章1節)、「万物をただ御子によって、御自分と和解させられ」(コロサイ1章20節)、「新しい天と新しい地」(黙示録21章1節)を終わりの日に創造される。このように、神のご計画は天地創造ではじまり、すべての造られたものの完成というゴールへと進んでいる。
しかし、世界が神の目指すゴールと真逆の方向に進んでいるように私たちは感じる。それは、神ご自身のかたちに造られた人(創世記1章:27節)がその使命を果たしていないからである。被造物が人の必要を満たそうと手を伸ばしているのに、人は万物のよき管理者として働こうとはしない。

2.教会の使命
神は人を御自身のかたちに創造され、地を従わせ、すべての造られたものを支配する使命を与えられた(1章28節)。つまり、神が愛をもってこの世界を王として治められているように、この世界を治めるために人は造られた。さらに、神は人を農夫として造り、土を耕し、守る使命を与えられた(2章15節)。人間は世界のすべてを自分の利益を生み出す道具と考えているが、この世界にいのちが満ちあふれるようにすべての造られたもの、特に「地」のしもべとして働くことこそが人の使命である。
すべての造られたものを治める使命が与えられている教会は、神が造られた世界を守り、キリストによってなされた万物との和解を実現する働きへと召されている。世界のよい管理人となることによって、新しい天と新しい地の前味を神の恵みによって今、この世界に現すことができるのだ。