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全能の神

全能の神(2023.12.10)

聖 書

神にできないことは何一つない。(ルカによる福音書1章37節)

礼拝音源(32MB)

礼拝順序

前  奏
招  詞 詩編37編4~5節 司 会 者
頌  栄 29 一同起立
賛  美 83 一同起立
祈  祷 司 会 者
主  祷 93-5 A 一  同
交  読 詩編69編1~19節
会衆祈祷 一  同
聖  書 ルカによる福音書1章26~38節
使徒信条 93-4 1A 一  同
牧会祈祷 鎌野かをり副牧師
宣  教 「全能の神」 鎌野かをり副牧師
祈  祷
賛  美 298 一同起立
感謝献金
奏  楽
頌  栄 27 一同起立
祝  祷 鎌野かをり副牧師
後  奏

宣教要旨

1. 全能の神
神が全能なお方であるというのは、神にとって不可能なこと、お出来にならないことは何一つないということ。神が語られた言葉、神が語られた事柄はそのようになるということ。神の約束は必ずその通りに実現するということです。全能の神は、神の御心を、神のご計画されていることを、人を用いて行われるのです。クリスマスの出来事は、神が全能であられることが現されています。それらの出来事は、私たちの目には不思議と思えるような出来事です。

2. 全能の神を信じる
「神にはできないことは何一つない。」と天使から聞いたマリアは、「お言葉どおりこの身になりますように。」と答えました。マリアはみことばを聞き、受け止め、従いました。神が語られたことは必ず実現する、だから神の語られたことが私のうちになされるようにと、信仰によって受け入れたのです。聞くことから信仰は生まれ、信仰によって従うことが出来るのです。2000年前、神は預言者によって語られていた救い主、イエス・キリストをこの世に遣わされました。私たちの救いのためです。そのことが実現するために、マリアを選ばれたのです。神はご自分の御心を行うために、神の約束を実現するために、人を用いてその業なされます。みことばを聞き、全能の神を信じ、御心が私のうちになりますようにと応答する歩みをさせて頂きましょう。

イザヤが人々にこのことを伝えたのは、イエス様がこの世に生まれる700年以上も前のことでした。ユダヤ人たちは、希望を持ってこのことを伝えていきました。そして、イエス様の弟子たちはこの預言が成就したことを証しし伝え、多くの人がこの恵みを受けています。(使徒8:26〜40)

神の企て(2012.2.12)

宣教題  : 「神の企て」   宣教:   川原﨑 晃  牧師
聖    書  : ルカによる福音書 1章26節~38節
「神にできないことは何一つない」(37節)と語られている御言葉は、私たちを捉えます。それは、神が語られた企て(ご計画)は必ず実現される「全能の神」であることを明らかにしています。私たちは、この問いかけにどう応答していくのでしょうか。

1.全能の神の前に立つ
神は、天使を通して、マリアにご自身の企てを打ち明けられています(30~33節)。それに対してマリアは、「どうして、そのようなことがありえましょう・・・」(34節)と訴えています。これは、神は全能であられるが、人は限界あるものであると言い表している言葉です。
私たちは、神の全能の前に、自らが無力であること、乏しいこと、悩んでいること、罪深いことを認めなければならないところに追いやられることがあります。その時に初めて、私たちは、全能の神との生きた関わりを持たせていただくことができるのです。
つまり、「いと高き神の子」であられるイエス・キリストによって、死をも滅ぼされた全能の神の前に(32~33節)立たせていただく経験をするのです。

2.全能の神に委ね続ける
神は、マリアの恐れや不安を解消させる御言葉を(28節、30節、35節、37節)、次々と語られました。彼女は、この神の御言葉に促がされ、導かれて、神の恵みの企ての世界の中に足を踏み入れていったのです。そして、「わたしは主のはしためです。お言葉どおり、この身になりますように」(38節)との決断をしたのです。この決断をもって、神は救いの企てを実行されていったのです。
私たちは、神の御言葉が成し遂げられるようにとの決断をし、それを全能の神の前に委ね続ける信仰に生きる者です。そのためには、いつも神の御言葉を聴き続けていることが大切です。それが、私たちの決断を支えるのです。
私たちが、全能の神の企てと御言葉に自らの人生を委ねて、信仰の翼を神の全能に向かって大きく広げるなら、神の力を捉えることができます。そして、信仰の高値へと引き上げられていくのです。