キリストの光」タグアーカイブ

福音の光に照らされる(2017.1.29)

宣教題  「福音の光に照らされる」         宣教 川原﨑晃牧師
聖 書  ルカ11章33~36節
主イエスが、「今の時代の者たちはよこしまだ」(29節)と指摘されましたが、そのような悪い時代だからこそ、キリストの光すなわち福音の光に照らされて、光輝くようにと命じられたのです(ヨハネ8章12節参照)。

1.光であるキリストを心の中に保ち続ける  33~35節
家に入って来る人のためには、光が見えるように、明々と灯されたともし火が用意されます(33節)。このことは、私たちが光であるキリストの招きに応じて、キリストのもとに来ているかどうかを問うておられるのです。
さらに、体のともし火であり光である目が澄んでいるか濁っているかによって、その人の存在そのものが明るくなるか暗くなるかを語られています(34節)。このことは、目が健やかで見るべきキリストを一筋に見ているかどうかによって、その人自身が明るいかどうかが分かるということを言われたのです。
そして、「あなたの中にある光が消えていないか」と問いかけておられます(35節)。そのためには、ご自身の命を投げ出された十字架のキリストを仰ぎ見て(ヘブライ12章1~2節参照)、キリストを心の中に保ち続けていることが必要なのです。

2.キリストの光を輝かせ続ける  36節
このように、内に光であるキリストを保ち続けるならば、その人自身の存在と生涯の歩みを通して、キリストを輝かせ続けていきます。
今日まで、光であるキリストがさまざまな暗闇の領域に臨まれて、個々人の生活と社会を変貌させてこられました。もし、光が暗闇に代わってしまっていることがあるとするならば、私たちは悔い改めて、もう一度光であるキリストの中に歩み直すことが必要です。私たちが、どんなに小さな存在であっても、キリストの中に歩み続けることにより、他者とその周囲を明るく輝かせていくのです。

光の中に生きる(2011.12.11)

宣教題  : 「光の中に生きる」   宣教:   川原﨑 晃  牧師
聖    書  : ヨハネの手紙 一   1章5節~10節
イエス・キリストの来臨は、まことの光が失われてしまった世界に、神ご自身がまことの光であることを現わされた出来事でした(ヨハネ1章9節)。私たちには、この「光の中を歩む」のか、「闇の中を歩む」のかが問われています。
光の中に歩み続けるとは、どういうことなのでしょうか。

1.神と交わり続ける  5節~7節
イエス・キリストを信じる者は、光の中を歩み、神との交わりに生かされているのです。ところが、神との交わりを持っていると言いながら、闇の中を歩んでいることがあるというのです。具体的には、信仰と生活が関係なくばらばらになっている生き方をしていることです。しかし、神との交わりとは、主イエス・キリストに堅く結ばれ、主のものとされている交わりです。主に愛されていることを知るがゆえに主を愛し、礼拝に生きる者とされている交わりです。
闇の中に生きるならば、人は孤立し、互いに信頼し助け合うことができなくなります。しかし、光の中に生きるならば、互いに交わりを持つ健やかな人生がつくられ、新たな交わりを築き上げていきます。

2.神の真実に触れ続ける  7節b~10節
もし私たちが、これまで罪を犯したことがないとか、今も自分に罪がないといって罪を軽く考えるなら、それはイエス・キリストによってなされた救いの業を意味のないものとしてしまい、自分を欺くことになります。しかし、神は、イエス・キリストの十字架の贖いのゆえに、私たちが心にある罪の事実をそっくりそのまま神に告げて悔い改めることによって、あらゆる罪を赦し、罪から清め続けてくださるのです。この神の真実に触れ続けることが、光の中に生きることなのです。
光の中に生きることは、あやふやな生き方をすることではなく、私たちの日常生活を力ある歩みとします。ですから私たちは、自分の力で光を輝かせようとすることをやめて、まことの光であられるイエス・キリストに立ち帰り、その光の中に生き続けることが大切なのです。