月別アーカイブ: 2017年6月

本当に豊かですか(2017.6.25)

宣教題  「本当に豊かですか」      宣教 川原﨑晃主管牧師
聖 書  ルカ12章13~21節、2コリント8章9節

あなたが生き甲斐としていることは何ですか、との問いを受けたとき、何と答えるでしょうか。生き甲斐とは、何らかの意味で、自分は生きているという実感、充実感を得ることです。

Ⅰ.どこに生き甲斐を見い出すか  13~20節
主イエスは、遺産の分配の調停役になっていただくことを求め訴えてきたことを通して、「どんな貪欲にも注意を払い、用心しなさい」と語られ、欲が貪る欲となってしまうことに対して注意を促されました。「人の命は財産によってどうすることもできない」からです(13~15節)。
続く「愚かな金持ち」のたとえを通して、「私の」「私は」と自分のことしか眼中にない者の生き甲斐は、最も大切なものを失っていることを教えられました。そこには、神を無視した神抜きの人生観が表れています(17~19節)。そして、この世のことだけで生きることは、不安で恐れに支配される人生だと言われました(20節)。

Ⅱ.神を生き甲斐にしてみては  21節
そこで大切なことは、「自分のために富を積んで」生きるのではなく、全てのものを備えて与えてくださる神に心を向け、神を信んじて依り頼むことによって「神の前に豊かに」なることを生き甲斐とするのです。
そのように神の前に豊かになるために、その道を開いてくださったのが主イエスです。人となられた神である主イエスが、神としての威厳と力と特権を捨てて十字架の死にいたるまで「貧しくなられた」ことによって、私たちの中に深く踏み込んでくださいました。この主イエスに対する信仰によって神の豊かな命にあずかることが、神を真に生き甲斐とした歩みをつくっていくのです(2コリント8章9節)。

礼拝ご案内・行事予定(2017年7月)

礼拝はキリスト教会の最も大切な行事です。私たちのいのちの糧である聖書の言葉が、わかりやすく語られます。讃美歌を歌い、祈ります。 神さまを讃え、救いにあずかった感謝を表します。

◎ 主日礼拝 (毎週日曜日)
第1礼拝 :AM 9:00 ~ 10:15
第2礼拝 :AM10:45 ~ 12:00
第3礼拝 :PM 7:00 ~ 8:00
○成人科プログラム (毎週日曜日)
AM9:30 ~ 10:15
楽しい聖書の学び 1階集会室にて
お話は毎回完結します。
いつでもお入りください。
2日(日) 第1聖日 礼拝「恵みと真実に囲まれて」
1テサロニケ5:23~28
創造主なる神
イザヤ40:21~26
鎌野 健一
9日(日) 第2聖日 礼拝「神の国は近づいた」
マルコ1:14~15
祈りと証し
16日(日) 第3聖日 教団創立記念日礼拝・特別礼拝「福音を信じ、福音を守る」
ガラテヤ3:1~5
愛なる神
第一ヨハネ4:7~11
大塚 章信
23日(日) 第4聖日 伝道礼拝「心配無用」
ルカ12:22~34
ノアの箱舟
創世記7:1~24
真田 重治
30(日) 第5聖日 礼拝「わたしについて来なさい」
マルコ1:16~20
アブラハムの旅立ち
創世記12:1~9
増永 茂

祈祷会 恵みの分かち合い (毎週水曜日)  AM 10:30 ~12:00、PM 7:00 ~ 8:30

祈祷会は毎日の家庭の祈りに加えてクリスチャンが心を合わせて神に問い、神と語る集会です。キリスト教にとって、祈りは「ご利益の祈願」や「瞑想」ではありません。 神さまのみこころが私たち世界に満ちることを願い、さらに救われたことを、神さまに感謝するものです。

7月行事予定

2日 (第1聖日)礼拝 聖餐式 7月誕生者祝福  教会学校教師研修会②  役員会
9日 (第2聖日)礼拝
16日 (第3聖日)教団創立記念日礼拝 バルナバミッション祈祷会 異端・カルト対策セミナー
23日 (第4聖日)伝道礼拝
30日 (第5聖日)礼拝

8月行事予定

6日(第1聖日)平和聖日・伝道礼拝 8月誕生者祝福
13日(第2聖日)礼拝 聖餐式  役員会
20日(第3聖日)礼拝 ギデオンラリー
27日(第4聖日)礼拝 振起日合同礼拝

父への感謝(2017.6.18)

宣教題  「父への感謝」         宣教 今田好一牧師
聖 書  マタイ5章45節、7章7~11節

「父の日」は、家族が父親に日頃の感謝を表す日であると共に、わたしたちの造り主なる「父なる神」への感謝をもう一度覚えましょう。

1. 父なる神は生みの親
神に似せて造られたわたしたちは、神との交わりの中で幸せに過ごせるはずでした。ところがそうでないのはわたしたちのうちに罪があるからです。しかし神は、何とかしてその罪を赦そうとされたのです。

2. 父なる神は育ての親
イエス様は、「父は悪人にも善人にも太陽を昇らせ・・・。」(マタイ5:45)と言われました。神は求める者すべての人に平等に恵みを注がれ、わたしたちの必要のすべてを与えてくださいます。しかし、それだけでは、わたしたちは幸せな人生を送ることはできないのです。

3.父なる神は救いの親
多くの人が神から離れた生活をしています。それが「罪」です。この罪からわたしたちを救うために、神は御子イエスを救い主としてこの地上に送り、十字架による罪の贖いを成し遂げ、わたしたちへの救いの道を開かれたのです。このお方を信じる信仰によってわたしたちの罪は赦され救われるのです。そして、もう罪に定められることはないのです。
今日「父の日」を迎え、父親への日頃の感謝を表すと共に、天におられる「父なる神」への感謝を表す時とさせていただきましょう。

誘惑を受けられたイエス(2017.6.11)

宣教題  「誘惑を受けられたイエス」     宣教 今田好一牧師
聖 書  マルコ1章12~13節
イエス様は、洗礼者ヨハネから洗礼を受けられた後、何故サタンの誘惑を受けられたのでしょうか。

1.誘惑を受けられたイエス
私たちが神から離れて生きているなら、サタンの存在を意識させられることは、ないかもしれないが、ひとたび神に従おうとする時、サタンはそれを阻止してきます。神に従うほどにサタンの力も強くなります。だから、人となられたイエス様が、人としての極限状況を潜り抜ける必要があったということなのです。

2.誘惑を退けられたイエス
マルコにとって誘惑の内容よりも重要だったのは、イエス様がサタンの誘惑に勝利されたということでした。イエス様の十字架への歩みはサタンの誘惑との戦いでした。その誘惑の最高潮が、主が十字架につけられたとき、「神の子なら、自分を救ってみろ。」(マタイ27章40節b)との誘惑でした。しかし、イエス様は、その誘惑をも退けられ、父なる神の意志と霊の導きに忠実に従われた僕としての姿が示されています。

3.誘惑を受けられたのは私のため
イエス様が荒れ野におられた40日間、「野獣と一緒におられが、天使たちが仕えていた」とあるが、野獣はこの世の力の象徴であり、サタンは人がこの世で最も欲するものをもって誘惑してきます。しかしイエス様には天使たちが仕え守っていました。
このようにイエス様ご自身が誘惑を受けて苦しまれ、勝利されたからこそ、誘惑に弱く負けやすい私たちを助け、私たちに勝利を得させてくださることができるのです。
今日、私たちに代わってサタンの誘惑を受けられ、勝利されたイエス様を、もう一度、私たちの主として魂の中にお迎えさせていただきましょう。

聖霊による生活(2017.6.4)

宣教題  「聖霊による生活」        宣教 川原﨑晃主管牧師
聖 書  1テサロニケ5章12~22節

聖霊は、今も変らずに教会の歩みの中で個々人の生活を確立しようと働いておられます(使徒言行録2章3~4節)。私たちは、その聖霊の火を消さないで(1テサロニケ5章19節)、燃え立たせていただく生活を歩んでいくのです。

1.教会の交わりを愛で輝かせるために  12~15節
再臨待望に生きる教会は、指導者と信徒また信徒と信徒の関係が健全で、それによって各々の信仰が確立していきます。教会の指導者は、心を注いで信徒と共に労苦し、霊的指導と養いと戒めをもって導きます。その指導者は、その働きの尊さのゆえに尊敬を受けるのです。そして、互いに平和に過ごすのです(12~13節)。また、指導者と信徒また信徒と信徒相互においては、戒め、励まし、助け合い、すべての人に寛容であり、すべての人に対していつも善を行うように努めるのです(14~15節)。
このような教会の交わりは、聖霊が結ばせてくださる愛によって造られていくのです(ガラテヤ5章22節)。

2.聖なる者の信仰が造り上げられていくために  16~22節
いつも喜び、絶えず祈り、どんなことにも感謝することは、神のご意思であり願いです。それは、キリストに結ばれていることにより、聖霊が実現してくださいます(16~18節)。さらに、すべてを吟味して良いものを守ること、あらゆる悪いものから遠ざかって善を追求することの基準となるのは、聖書の御言葉です(21~22節)。ですから、神から授かった御言葉を軽んじてはいけないのです(20節)。
聖霊は、この御言葉の真理を認めさせ、理解させ、それを信じて従って生きることをさせてくださいます(1コリント2章13~14節、12章3節)。ですから、この御言葉を軽んじるならば、聖霊の火は消えてしまいます。
教会の愛の交わりの中で聖なる者の信仰を造り上げてくださるのは、聖霊なのです。