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永遠への出発(2020.02.09)

宣教題 「永遠への出発」         宣教 川原﨑晃主管牧師
聖 書 ルカ21章5~24節

 聖書は、この世の終わりについて、真正面から語っています。あわせて、それは新しい始まり、さらに良き始まり、永遠への始まりであることを明らかにしています。そのことを意識し、それに対して備え、生かすことが大切です。

1.時を正しく意識するように  5~9節、20~24節
 主イエスは、人生に終末があるように、この世界にも終末がやって来ることと、その時が滅びで終わるのか、それとも救いが完成するときなのかを問うておられます。
 まず、主イエスは、エルサレムが滅びることは、世が終わることではないと語られました(5~9節)。そして、不滅と言われていたエルサレムが滅びる日が来ることを予告されました(20~24節)。神の顧みと憐みを拒み、救い主イエスを拒んだ結果によって起こったのです。
 絶対大丈夫と思われていたことでも、不滅のものはありません。いったい、私たちは不滅信仰を何に置いているのでしょうか。

2.その時に対して備えるように  10~19節
 主イエスは、エルサレム滅亡以上の終末的な破壊が起こることを告げられました。
それには、争いや自然災害(10~11節)、キリストの名のゆえに受ける社会的圧迫や親しい者の裏切りやむ憎悪があります(12~17節)。
 しかし、そのような私たちをご覧になられる神は、「髪の毛の一本も決してなくならない」ほどに保護されます(18節)。そして、十字架を負うことから逃げないで忍耐しつつ(1ペトロ2章19~23節)、主イエスに信頼し切って生きることにより、救いを完成してくださるのです(19節)。

聖書朗読(1MB)

メッセージ(12.3MB)

終末に生きる(2009.6.28)

題   : 「終末に生きる」   宣教:   足立 幹夫  牧師
聖書  : ぺトロの手紙一 4章7節~11節
万物の終わりとは、主の再臨とその後に行われる審判のことです。ところが、紛争の続出、自然界に起きている異変、それに人心の退廃した今の世相を見ますと、その時は近づいていると思わされます。この終わりの時に生きるキリスト者は、どのような備えが必要なのでしょうか。

1.思慮深く、身を慎んで祈る  7節
主の再臨が近いと聞くと、宣教が第一と考えますが、祈りが先になっています。どんなことを祈るのでしょうか。思慮深く慎んで祈るとは、キリスト者が異端や悪霊の教えに惑わされたり、動揺されたりしないで、聖書信仰に固く立って、主の再臨。

2.愛し合い、もてなし合う  8~9節
心を込めてとは、気の合う人にだけでなく、偏らず隔てず、いつまでも関わり合って生きることです。そして、愛は多くの罪を覆うのです。だから、人の失敗や汚点は、吹聴したくなるものですが、お互いにカバ-し合うのです。ペトロは、7度を70倍するように言われた主の御言葉を心にとめていたのです。
主は、私たちの罪を十字架の血で覆い包んでくださいました。この主の愛によって救われた者が、罪を覆い合うのは当然のことなのです。もてなし合いも、この心でするのです。主はそれを喜ばれ、再臨のとき豊かに報いてくださいます。

3.神の恵みの善い管理者となる  10~11節
キリスト者が管理して活用する天与の賜物には、才能、時間、財宝があります。主は、折角の賜物を自分のためにだけ使おうとした金持ちを、愚かな者と言われました。しかし、私たちは、善い管理者となり、賜物を活用することによって、主から褒められる者になりましょう。その賜物を用いる動機と目的は、個々人か賞賛されるためではなく、それを授与された主が崇められるためです。
私たちは、目覚めて祈る教会、うるわしい交わりの教会、皆が積極的に奉仕している教会となって、主の再臨の日まで、祈り合い励まし合って前進していきましょう。