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神の言葉が働く(2016.10.9)

宣教題  「神の言葉が働く」          宣教 川原﨑晃牧師
聖 書  1テサロニケ2章13~16節

神の福音は、それをゆだねられた人を通して語られます(2章4節)。そして、その福音は、聞いた人によって様々な受け取り方が生じます(同1~2節)。福音を聞いて受け入れたテサロニケの人々には、神の言葉が生き生きと働いていました。私たちは、語られる神の言葉に対して、どう応答したらよいのでしょうか。

1.神の言葉として受け入れる  13節b
神は、聖霊によって御言葉を与えてくださり、それを受け入れた人の内に聖霊が働きかけて信仰へと導いてくださり、励まし、慰め、力づけくださり、軌道修正してくださり、問いかけてくださり、チャレンジを与えてくださいます。何よりも、神の言葉を聞いて、イエスを救い主と信じる信仰を持たせてくださいます。これが、神の言葉として受け入れるということです。
アテネの人たちに見るように、好奇心からの求道者ではなくて(使徒言行録17章19~21節、32節)、テサロニケの人たちのように、真摯な求道者とならせていただきましょう(13節b)。そうすれば、人格的、内面的に変えられる経験するのです。

2.神の言葉として全く信頼する  13節c
テサロニケの信徒たちは、神の御思いと御心、そして神の将来の御計画をも知るようになっていきました。そして、具体的な態度や行動にも変化が見られるようになっていったのです。すなわち、主イエスとその御言葉を信じることにより、聖霊が神の言葉とともに働いて、新しく造り変えられ続けていきました。それに対して、彼らを主イエスから引き離そうとしたり、救いの恵みから落とそうとしたりするサタンの働きが激しくなっていくことを経験したのです(14~16節)。しかし、彼らは、神の言葉に信頼し続けました。
主なる神は、聖書の御言葉を通して、神の言葉を信頼する者の心のうちに働きかけ、その人をご自身の御心に従わせようとあらゆる方法をもって導かれます。

草は枯れ、花はしぼむ(2008.3.2)

題   : 「草は枯れ、花はしぼむ」   宣教:  福田 勝敏 牧師
聖書  : イザヤ書 40章6節~9節
イザヤは、神のさばきを語ってきました。もちろん、神様の恵みの預言、救い主の預言も語っています。
しかし、ここからは将来に向かっての神の救いの預言が語られます。しかも、神様の回復と慰めは限定された民族だけではなく全世界に対するメッセージなのです。

1.慰めのメッセージ  1~11
本章は「慰めよ」から始まっています。この慰めの内容は「苦役の時は今や満ち」「咎は償われた」「罪のすべてに倍する報いを主の御手から受けた」と語られています。
これは、バビロン捕囚からの解放だけではなく全人類に対する、神のさばきからの解放、永遠の救いのメッセージであり慰めのメッセージなのです。

2.偉大なる創造の主  12~26
神は、全能の英知をもって計画を立て、偉大な計量器(手のひら、手の幅、枡、秤、天秤)をもって天地を計り、天地創造をされたのです。神はさらに創造された世界を、偉大な知恵をもって支配しておられます。

3.新しく与えられる命  27~31
この偉大な神は、わたしたちのような小さく、疲れた者に力を与え、守ってくださいます。これらの力をいただくことのできる人は、「主に望みをおく人」と言っていますが、口語訳聖書では「主を待ち望む者は」と訳しています。新しい力を得るためにはまず「主を待つ」のです。この「待つ」とは「忍耐する」との意味もあります。しかも望むのです。「望み」とは信頼することでもあります。
神に絶対信頼をして待ち望む時、神はすばらしい祝福を与えてくださいます。昔のイスラエルの民がメシアの到来を待ち望んで、イエス・キリストが来られ、その十字架と復活によってわたしたちの罪がゆるされ、このキリストの復活の命によって、永遠の新しい命が与えられたようにです。
そしてさらに、わたしたちは永遠の救いである、新天新地を待ち望んでいます。主を信頼して待つのです。その保証は、神の言葉以外にありません。草は枯れ、花はしぼみます。しかし神の言葉は永遠に残るのです。丸ごと神の言葉を信じましょう。