神の言葉を聞く」タグアーカイブ

聞く力(2020.6.28)

聖書

イエスは、このように多くのたとえで、人々の聞く力に応じて御言葉を語られた。(マルコ4章33節)

礼拝音源(29.4MB)

礼拝順序

前  奏
招  詞 ハバクク2章20節 司 会 者
頌  栄 29 一同起立
祈  祷 司 会 者
主  祷 93-5 A 一  同
交読詩編 27編1~14節
会衆祈祷 一  同
聖  書 ルカ22章63~71節 マルコ4章33節
使徒信条 93-4  1A 一同起立
賛  美 57 一同起立
牧会祈祷 川原﨑晃主管牧師
宣  教 「聞く力」 川原﨑晃主管牧師
祈  祷
賛  美 497 一同起立
感謝献金
奏  楽
頌  栄 27 一同起立
祝  祷 川原﨑晃主管牧師
後  奏

宣教要旨

主イエスは、最高法院の代表者たちから審問を受けておられます。それを通して、主イエスが語られたことを彼らが聞こうとしているか否かを問いかけておられます。
私たちが、主イエスが語られる御言葉を聞くとはどういうことなのでしょうか。

1.主イエスは何度も語りかけられる
主イエスが、ご自分を「メシア」だと言われても、代表者たちは信じませんでした(67節)。また、ご自身が「神の子」だと言われても、代表者たちは聞く耳をもちませんでした(70節)。しかし、こうした不当な裁判であっても、主イエスは語るべきことを語られたのです。この主イエスを知ることは、私たちの慰めであり、救いです。
主イエスは、私たちがどんな場面に置かれても、今も変わらずに何度も語り続けておられます。神の御言葉が開かれることによって、神の恵みの世界を知らせてくださり、御言葉の経験を与えてくださるのです(詩編119編130節)。

2.主イエスの語りかけを聞き損じてはならない
代表者たちが主イエスを裁判にかけたのは、処刑するためでした。彼らは、自分たちの考えが正しいと思い込む固定観念によって、心の自由を失っていたからです。そのために、主イエスが語りかけられることを聞き損じてしまったのでした。
主イエスは、この代表者たちだけでなく、私たち一人ひとりに「聞く力に応じて」語っていてくださいます(マルコ4章33節)。ところが、人は、聞き分ける力、聞こうとする力を失いがちです。私たちは、聖書に親しみ、熱心かつ謙遜に主イエスの語りかけを聞く力をいただき、御言葉信仰に生きる聖徒の群れとしていただきましょう。

 

 

豊かになる秘訣(2008.9.28)

題   : 「豊かになる秘訣」   宣教:   川原﨑 晃  牧師
聖書  : マルコ 4章21節~25節
私たちが出会う人々は良い魂であり、また伝道する地域は良い地であると受け止めていくなら、そこに蒔かれる神の言葉は豊かに実を結んでいきます。そのような信仰と期待に支えられて、まず私たち自らが神の言葉を聞くことに深められていく必要があります。

1.聞く耳をもって聞く  21~23節
本来「ともし火」は、升の下や寝台の下に置かれるのではなくて、燭台の上に置かれることによって輝きます。
「ともし火を持って来る」とは、「わたしは光として世に来た」(ヨハネ12章46節)と言われたイエス・キリストご自身のことです。その主イエスが私たちの所に来てくださり、なされた御わざを御ことばによって解き明かしてくださったことによって、神とはどのようなお方か、救いとは何かを教えられ、私たちが神の恵みによって生かされ、また永遠のいのちに生きることが明らかになったのです。
ですから、私たちは、語られた御ことばを聞く耳をもって聞き続け、信仰によって理解することが大切です。そうすることにより、暗い世の中に光り輝く者として用いていただくのです。

2.注意深く聞く  24~25節
どういう聞き方をしているかとともに、「何を聞いているか」に注意する必要があります。そこで、主イエスは「秤」のたとえをもって語られたのです。
秤は、語られたことを注意深く聞く程度に応じて、与えられる恵みも異なるという意味で語られています。信仰をもって注意深く聞く者は、いただいている神の恵みを「更に与えられ」ます。逆に、不信仰な姿勢で、不注意に聞いたり、偏見や批判をもって聞いたりするなら、与えられている神の恵みを失うばかりか、神の御ことばを正しく聞く機会まで失うことになります。
神の御ことばを注意深く聞くことによって、神が与えてくださる恵みは豊かに溢れます。ですから、新鮮な思いで聞こうとする意欲を、教えていただこうとする謙虚さを、大切なことをとらえる注意力を失わないようにしたいものです。