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神による人生(2008.4.27)

題   : 「神による人生」   宣教:   川原﨑 晃  牧師
聖書  : マルコ 1章9節~13節
イエス・キリストの公生涯の始まりは、山頂の歓喜の経験から谷底の試みの経験に至るものでした。そのキリストと結び合わされた者の歩みは、歓喜のときであれ、試みのときであれ、いつも「神による人生」となっていくのです。

1.山頂の歓喜の経験において  9~11節
主イエスは罪のないお方であり、本来ならば授けるべき立場であるにもかかわらず、ヨハネからバプテスマを受けられました。その理由は、主イエスが罪人と一緒になられて、その中にご自分の身を置くためでした。このように私たちと一体となってくださったところに、私たち自身の拠り所を見いだすことができるのです(ガラテヤ3章26~27節)。
この時主イエスは、ご自分に聖霊が注がれ、父なる神のみ声を聞かれました。主イエスこそ、父なる神の愛の交わりの中にあって、罪人の救いのみわざを成し遂げることを明らかにしておられるのです。キリストと結び合わされた私たちは、神に愛されて、神に対して生きる者とされていることを聖霊によって確認し続けていくことが大切です。
「神による人生」は、このような歓喜の経験から出発するのです。

2.谷底の試みの経験において  12~13節
続いて主イエスは、聖霊によって荒れ野に追いやられ、サタンの試みを受けられました。そんな中にも、神のみ子に仕えるみ使いによる確かな支えと助けがありました。マルコは、そのことを強調しています。
さて、私たちの信仰の歩みの中で、死の陰の谷のような試みや押しつぶされそうな重荷と戦わなければならないことがあります。そのような時にも、キリストに結び合わされているゆえに、私たちは支え助けられるのです。そこに、敵前の前の信仰者のゆとりがあります(詩編23編4~5節)。
自分の行き先が分からなくなるとき、孤独に思われるとき、無駄な労苦の日々と思えるとき、自信を失うとき、病むときに、キリストに結び合わされた「神による人生」が開かれていることを確認し続けたいものです。