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大いなる喜びの日(2014.12.14)

題   :「大いなる喜びの日」   宣教:   川原﨑 晃 牧師
聖書  : ルカ2章8~20節

神が人となられた出来事がクリスマスです。それは、イエス・キリストが飼い葉桶の中に寝ている乳飲み子として誕生されたことによって、神の方から人に近づいてくださったのです。このことを通して、人は神との出会いを経験できるようになったのです。

1.「恐れ」を伴なう出会い
クリスマスの出来事に登場する人々は、何らかの形で不安や恐れを持っていました(ルカ1章12節、1章30節、マタイ1章20節、2章3節)。ここに登場する羊飼いたちも「非常に恐れた」(9節)のでした。これらの不安や恐れは、個人的な事情というよりも、神ご自身が彼らに近づき、彼らの生そのものに介入されたことにより生じたものでした。それは、恐怖といった恐れであったり、畏敬の念の恐れであったりしました。こうした不安や恐れは、神が私たちに近づかれて語りかけられ、それに対して信仰の決断を促されるなど、何らかの形で神が私たちと関わりを持たれる時に覚えるものです。
イエス・キリストは、私たちの人生の生き方を中断させ、変更を求められます。そうすることによって、私たちの人生の主が私たち自身ではなくて、イエス・キリストであることを明らかにされるのです。

2.「喜び」に変えられる出会い
恐れを抱いた羊飼いに「大きな喜び」が告げられました(10~11節)。しかも、聞かされただけでなく、救い主を見せていただいた喜びでした(12節)。これは、不安や恐れを抱くすべての人に与えられる喜びです。このようにして、初めは恐れを引き起こす神の接近が、実はすべての人にとっての大きな喜びの接近であったことを明らかにされたのです。
羊飼いたちは、「今日」救い主がお生まれになった出来事を見るために、急いで出かけ、探し当て、他の人にも知らせています(15~17節)。こうして、彼らは救い主を受け入れる喜びを経験したのでした(20節)。「今日」との招きは、ザアカイも(ルカ19章9節)、十字架上の犯罪人も(同23章43節)経験しました。同じ喜びは、私たち一人一人が「今日」イエス・キリストを自分の救い主として受け入れる時に経験するのです。クリスマスこそ、この決断をする新しい出発の時なのです。

人生を変える出会い(2010.7.4)

宣教題  : 「人生を変える出会い」   宣教:   川原﨑 晃  牧師
聖    書  : 使徒言行録 9章32節~35節
私たちは、人生の途上において様々な出会いを経験します。それには、詩編に見るように、嘆きとの出会いがあり、神を讃える出会いもあります。大切なことは、私たちの人生を根本から変えてくださるイエス・キリストとの出会いが一人ひとりに求められていることです。

1.嘆きとの出会い
ここに登場するアイネアは、8年間も中風で床についていました。彼は、人には見離され、自らも治りたいと願う気力もなくなり、諦めて無力感と不安といらだちの中にいたと思われます。
今日、私たちは「失う」という様々な経験をします。病によって健康を失う、死別によって家族を失う、人間関係がこじれて友を失うといったことがあります。また、罪と汚れによって自分自身を失う、自らの死を迎えて将来を失う、あげくは、神に見捨てられたと錯覚してしまって神を失うこともあります。こうした喪失による嘆きとの出会いは、私たちを無力、諦め、いらだちの虜にしてしまいます。
しかし、私たちが失うという経験に向き合っていくなら、神が開いてくださる新たな世界を発見することができるのです。

2.キリストとの出会い
大切なことは、様々なものを失うという嘆きの中を通されても、魂の命を奪うことをなさらないイエス・キリストとの出会いを経験することです。アイネアは、ペトロによって「イエス・キリストがいやしてくださる。起きなさい。自分で床を整えなさい」と招かれ、「すくに起きあがった」と、信仰の応答をしました(34節)。
私たちは、誰ひとり例外なくイエス・キリストに出会い、その十字架による罪の赦しをいただく信仰に堅く立たせていただく必要があります。さらに私たちは、多くの人々がアイネアを見て「主に立ち帰った」ように、私たちを見る人々が、私たちを造り変えてくださったイエス・キリストを見ずにはいられないという、キリストの証人とされたいものです(35節)。その秘訣は、ただ信仰に立つことです。

信仰の目覚め(2010.2.14)

宣教題  : 「信仰の目覚め」   宣教:   川原﨑 晃  牧師
聖    書  : 創世記  28章10節~22節
ヤコブが、旅の途中の荒野で過ごした夜の出来事です。彼は父との死別の悲しみ、兄を裏切った心の痛み、いつも傍にいて守ってくれた母との別れの悲しみ、旅そのものの恐怖、見知らぬ土地への不安を秘めながら、石を枕にしての野宿をしました。
そのような中で、ヤコブは神と出会い、信仰に目覚めさせられるのです。

1.見上げよ!  10~15節
ヤコブは、この時まで神の話しは聞かされ、神の祝福に与かることに憧れていましたが、神ご自身を個人的に知ることはありませんでした。そんな彼が、神の御名を呼んで助けを求めて眠りについたのではないでしょうか。その夜彼は夢を見て、神を見上げる時を与えられたのです。
まず神ご自身が、ヤコブの暗い孤独な現実へ下ってこられたことを見ました(12節)。また、神ご自身がヤコブの傍らに立っておられるのを見ました(13節)。そして、神ご自身がヤコブと共にいてくださり、守り、見捨てることはないとの力強い約束を見聞きしました(15節)。
私たちは、いかなる時であっても、この神を見上げることを忘れてはなりません。

2.目覚めよ!  16~22節
ヤコブは、夜の眠りからの目覚めと同時に、信仰の目覚めを経験しました(16~17節)。そして、その場所を聖別し、信仰の記念としました(18節)。さらに、神のヤコブに対する約束に対して(20~21節)、ヤコブは神に誓願しています(22節)。その誓願は、神が約束されていることが実現すると堅く信じつつも、不安な気持ちの入れ混じったものでした。
ところでヤコブは、信仰を目覚めさせられた場所を「ベテル(神の家)」と名付けています(19節)。そこから信仰の歩みが始まったヤコブは、そこに戻ってきて礼拝をしました(35章3節)。このベテルこそ、今日の教会です。そしてイエス・キリストが、天に通じる唯一の階段となってくださいました(ヨハネ1章51節)。私たちは、神の臨在とその守りの中を御国を目指して歩んでいるのです。