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生きて働く信仰(2018.2.18)

宣教題  「生きて働く信仰」        宣教 川原﨑晃主管牧師
聖 書  ヤコブ1章26~27節
 信仰者にありがちなことは、信じるだけで救われることが分かっていても、律法を守ることに心を向けてしまったり、信じればよいということに傾き過ぎて、行いを軽んじ過ぎてしまうということがあります。生きて働く信仰とは何なのでしょうか。

1.自分の心を欺かない  26節
 信仰とは、主イエスを信じ信頼するという内面的なことであり、信心とは、その信仰が見える形で表される礼拝などのことを言っています。本来、この信仰と信心とは切り離すことのできないものです。
 ですから「自分は信心深い者だと思っても」、舌を制することができないで人を言葉で傷つけて平気でいることがあれば、「自分の心を欺く」ことになり、その信心はむなしいものになります。主イエスが、一人ひとりを愛して仕えていてくださることを覚えて、人を生かす言葉を用いることが、生きて働く信仰の証しです。

2.神の御前に生きる  27節
 神の御前に生きることは、決して窮屈なことではありません。信仰者には力が必要です。その力は、きよさにあります。その力の源は神ご自身です。サタンが最も恐れるのは、信仰者のきよさです。ですから信仰者は、避けるべきものは避けて「世の汚れに染まらないように自分を守ること」により、「清く汚れのない信心」をもって生きるのです。
 そのように神の御前のきよさと、実際的かつ具体的な助けを必要とする人々に仕えていくこととは、切り離せないことです。私たちの信仰が、無意味なむなしいものではなく、生きて働くものであることが大切です。

うれしい知らせ(2017.1.15)

宣教題  「うれしい知らせ」          宣教 川原﨑晃牧師
聖 書  1テサロニケ3章1~10節
信仰者は、「苦難」の中でこそ、信仰によって生きることが大切です。パウロは、テサロニケの信徒たちに対して、「あなたがたの信仰」と繰り返し語る中に(5節、6節、10節)、彼の心が伝わってきます。

1.信仰を気づかう  1~5節
テサロニケの信徒たちは、苦難を受けるように定められていることが何度も予告され、事実その通りになりました(3~4節)。とはいえ、人はその事態に直面した時ほど気弱になって、そこにサタンが巧妙に働きかけてきます。信仰をもって生きることを後悔させようと様々の出来事を引き起こしてきます。
そこで、パウロは「協力者テモテ」を派遣したのです(1~2節)。それによって、テサロニケの信徒たちが動揺することなく、苦難から乗り切れる道が開かれることを願ってのことでした。彼の働きは、彼らの信仰を強め、励まし(2節)、その信仰に必要なものを補うためでした(10節)。こうした信仰の気づかいが、愛の実践となって表れてくるのです(5節)。

2.生きた信仰を喜ぶ  6~10節
アテネからコリントに来ていたパウロは(使徒言行録18章5節)、テサロニケから帰ってきたテモテより「うれしい知らせ(福音)」を聞きます。テサロニケの信徒たちは、苦難が激しくなればなるほど信仰の火が燃えあがっていました。また、愛が溢れていました。それが、互いに再会することを切望することに表れています(6節)。
そのようにして、パウロは彼らの信仰によって励まされました(7節、2コリント1章3~4節)。そのキリストへの信仰ゆえに、生きた心地がしたというのです(8節)。この大きな喜びゆえに、神に感謝をささげ、その御前にひれ伏しいています(9節)。お互いが、このような「うれしい知らせ」を持ち運ぶ者とさせていただきましょう。