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あなたがた自身で(2015.10.4)

宣教題  「あなたがた自身で」         宣教 川原﨑晃牧師
聖 書  ルカ9章10~17節

主イエスは、群衆を深い憐れみの御心をもって恵みの御業をなされました(11節、マルコ6章34節)。続いて主イエスは弟子たちに、「あなたがたが彼らに食べ物を与えなさい」(13節)と恵みの御業に加わるように招かれ、彼らを用いられました。それは、主イエスの憐れみと豊かな恵みに生かされている者が、共通して経験することです。

1.主イエスは仕える力を供給される
主イエスは、弟子たちが五千人の人たちに食べ物を与えることができないことを知っておられ、ご自身がなさろうとされることを腹の中にしまっておいて、弟子たちを試されました(ヨハネ6章5~9節)。このようにして主イエスは弟子たちに、自分たちでは何もできない者であることを、とことん教えようとされたのです。そして、主イエスが五千人に食べ物を供給しようとされていることを明らかにされたのです。
この出来事を通して、主イエスは、福音を伝え福音に仕える者をどのように用いられるかを教えておられます。それは、私たちの無力さを分からせていただき、主イエスの恵みによって砕かれ、恵みの器にさせていただくことなのです。恵みの供給と力は、主イエスからくるのです。

2.主イエスはささげるものを用いられる
何と主イエスは弟子に、「それをここに持って来なさい」と言われました(マタイ14章18節)。そして、五つのパンと二匹の魚は主イエスの手に渡され、祈りのうちに祝福されて、弟子たちを通して配られたのです。
私たちに託されているものが、どんなに小さなものであっても、それが主イエスに渡されると何倍にも祝福され、その結果私たちを通して用いられるのです。ですから、私たちは、主イエスが「あなたがた自身で」と言われるときに、その力は主イエスから来ることを知って、「わたしをささげます」と主イエスにお返しすることが求められているのです。

恵みに応答して(2010.1.3)

宣教題  : 「恵みに応答して」   宣教:   川原﨑 晃  牧師
聖    書  : 第二コリント 5章11節~21節
私たちを生かす原動力は、「キリストの愛がわたしたちを駆り立てている」(14節)というキリストの愛であり、神の恵みです。私たちは、それに対してどう応答するのでしょうか。

1.キリストにあって生きる  17節
私たちがキリストの愛の強い迫りを体験するのは、自らが罪人であるとの強い自覚を覚えた際に、贖い主イエス・キリストの十字架の救いを鮮やかに示された時です。
それは、神に義人と認められる恵みです(21節)。
この恵みは、だれでも、いつでも、キリストにあって、キリストに結ばれて新しく創造された者として生きることです。それは、キリストによらない自己中心の古い生き方ではなく、キリスト中心の新しい生き方をすることであり、この世のものの見方や価値観でキリストを見るのではなく、聖書が明らかにしている見方や価値観でキリストを見ることです(16~17節)。
私たちがキリストの十字架で新しく創造されるならば、「見よ、すべてが新しくなったのである」(口語訳聖書)との歓喜が溢れ出るのです。

2.キリストのために生きる  14節
駆り立てるキリストの愛は、私たちを縛って動けなくするのではなく、新たな方向へ向かわせ前進させます。すなわち、自分自身のために生きる生き方はキリストと共に十字架で死んだのですから、私たちは復活してくださったキリストのために生きるようになるのです(14~15節)。
さらに私たちは、キリストの十字架の贖いによって神との和解の恵みを体験したのですから、キリストの和解の務めに生きるのです。それは、「キリストに代わってお願いします」とのメッセ-ジを携えて遣わされる全権大使です(18~20節)。
私たちがキリストの愛に駆り立てられ、救いの恵みの喜びと感激に満たされ、困難な中でも使命に応えていくならば、それは徒労で終わることがありません。一人ひとり、神の召しに応答していきましょう。