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この恵みにしっかり立って(2016.8.14)

宣教題  「この恵みにしっかり立って」        宣教 川原﨑晃牧師
聖 書  1ペトロ5章12~14節

「クリスチャンとしての立ち位置は」との問いに対して、ペトロが「この恵みにしっかり踏みとどまりなさい」と語っているように、恵みのうちに立ち続けることです。ペトロがここに至るまで、簡潔かつ力強く「勧告をし」「証しし」てきた恵みとは、どういうものなのでしょうか。

1.神の恵みで満ちている
ペトロが、「あなたがたにこのように短く手紙を書き」と言っているのは、「神のまことの恵み」の豊かさを語り尽すことができないほどに、神の恵みは大きく、偉大であるということなのです(12節)。
この手紙には「恵み(カリス)」との言葉が多用されていますが、「神の御心に適う」とも翻訳されており(2章19~20節)、神の恵みの豊かさを表しています。苦しみもまた神の恵みであり、その時にこそ、ひときわ聖霊なる神はクリスチャンに寄り添い、その恵みを自覚させてくださるのです(4章14節)。神の恵みを立ち位置とするゆえに、「信仰にしっかり踏みとどまって」歩むのです(5章9節)。

2.恵みの交わりに生きている
この手紙が結ばれるに際して、神の恵みに共に生きるペトロの協力者が紹介されています(12へ13節)。シルワノ(シラス)は、パウロと労苦を共にする協力者でした(使徒言行録15章40節、16章19節)。彼は、ペトロが「忠実な兄弟と認めて」おり、洗練されたこの手紙を書いたのです。また、失敗経験のあるマルコを再出発させ、「わたしの子マルコ」と呼んでいます。そのマルコが「福音書」を残したのです。
さらに、ローマにあってペトロと共に戦う人々との祈りによる交わりがありました。ペトロ自身は、「互いに」真実な愛と平和(平安)が保たれた交わりを願って祈っています(14節)。その彼を支えていたものは、主イエスの絶えざる執り成しの祈りでした(ルカ22章32節)。私たちは、この祈りの交わりを重んじるのです。

喜びに満ちあふれて生きる秘訣(2014.7.13)

宣教:池口留都 伝道師
聖書:1ヨハネ1章5~10節

ヨハネの手紙一が書かれた目的(3、4節)でもある、クリスチャンが喜びに満ちあふれて生きる秘訣は、2つの交わりに生きることです。それは、御父と御子イエス・キリストとの交わりと、互いの交わりです。この2つは切り離せません。

1.御父と御子イエス・キリストとの交わりに生きる
(1)ありのままの自分を受け入れる難しさ
「神は光である」(5節)とあるように、光である神様の前ではすべてが明らかにされます。一方私たちは闇の中にいます。闇の中で自分探しをしますが、現実の自分を受け入れるのは難しいことです。特に、神様の光は、それまで知らなかった、罪深い自分の現実の姿も明らかにします。それを認めて受け入れること に、難しさを感じます。こんな自分は受け入れられないのではないか恐れるからです。
(2)ありのままの自分を受け入れてくださる方
そんな私たちの本当の姿をすべて知った上で、私たちを受け入れてくださる方こそ、イエス様です。イエス様は私たちをそのままで受け止めてくださり、私た ちを闇から光へ招き入れるために十字架にかかってくださいました。もし私たちが、光によって照らし出されるありのままの姿、罪を「その通りです」と認める なら、神様は赦して下さいます(9節)。イエス様の血が私たちを覆い、清め続けてくださるからです(7節)。私たちの恐れは取り除かれ、自由に神様との交 わりを持ち、その中に憩うことができます。そこに、喜びが満ちあふれます。

2.教会の交わりに生きる
愛と赦しを受け取った私たちは、他の人と関わる勇気と、一緒に歩む交わりを与えられます。それが教会の交わりです(3節)。神様との交わりは私たちを教 会の交わりに導き、また、教会の交わりを通して、私たちは成長させていただき、さらに神様との交わりを深めさせていただきます。2つの交わりに生かしてい ただきましょう。

交わりに生きる(2013.1.20)

宣教題  : 「交わりに生きる」   宣教:   川原﨑 晃 牧師
聖    書  : 使徒言行録 20章13~16節 1ヨハネ 1章3節
神の御子の血によって贖われた者は、神のものとされ、教会の交わりに加えられます。その交わりは、「御父と御子イエス・キリストとの交わり」であり、「わたしたちの交わり」と言われる聖徒の交わりです(1ヨハネ1章3節)。パウロのミレトスまでの旅程には、教会の交わりを証しするメッセージが語られています。

1.主との交わり
ここでのパウロは、不思議な行動をとっています。彼は、ルカたちを船でアソスに行かせ、自らは一人でアソスまでの山道を歩いて行ったのです。彼はそのことを決め、ルカたちに指示するほどに並々ならない決意をしています。そうすることによって彼は、ミレトスでエフェソの指導者たちに決別説教を語るに際して、主イエスと交わり、祈り、考え、黙想しつつ、伝道や教会や聖書についてまとめ上げていったと思われます。
聖書に登場する多くの人物が、神の前の孤独を経験し、それを通して自分を見つめ、神に近づき、神の御心を知らされ、神に仕えることに豊かにされています。こうした主イエスとの交わりは、良いことであり、また幸いなことです。パウロは、その良い方を選んだのです。私たち一人ひとりも、この良いことに身を置くことが必要です。

2.聖徒の交わり
アソスでルカたちと合流したパウロは、ミレトスまで船旅をしました。彼が、エフェソの指導者たちをミレトスに呼び寄せて、決別説教をしたのには理由がありました。それは、五旬祭にはエルサレムに到着していたいとの願いがあったからです。彼は、ユダヤ人たちが重んじる習慣を受けとめつつ、彼らをキリストの福音に導き、ユダヤ人と異邦人の間にある敵意という障害を取り除いて、両者がキリストにあって一つになることに重荷をもっていたからです。
私たちの交わりは、信仰によって与えられた共通の救い・御言葉・礼拝・目標・使命・苦難・栄光を共有する交わりです。私たちは、主との交わりを深め、相違を意識しやすい愛の乏しさを悔い改めつつ、共通のものにしっかりと目を向けていくことによって、教会の交わりを確立していくことが大切なのです。

福音のための交わり(2010.7.25)

宣教題  : 「福音のための交わり」   宣教:   鎌野 直人師
聖   書  : フィリピ1章1~7節

関西聖書神学校には現在21名の神学生が学んでいる。みことばと聖霊に導かれ、祈り、神のめぐみの広さと深さを経験し、整えられた品性を持ち、教会を立てあげる伝道者を養成するための働きは80年以上、継続している。

神学校の働きとそれぞれの教会の働きとはどのように関わっているのだろうか。それは「福音のための交わり」(1:5)である。パウロとフィリピの教会が福音を宣べ伝えるための交わりの中にあったような関係を教会と神学校はもつべきだ。

パウロとフィリピの教会は、手紙を送り、喜びと感謝と願いと取りなしを祈り、具体的にものを送るという形で福音のための交わりを持っていた。この交わりを通して、パウロの宣教の働きは進められ、フィリピの教会も義の実に満ちあふれることによってその地域での宣教を進めていった。

福音のための交わりには三つの特徴があった。まず、それは継続した交わりであった(1:5)。次に、この交わりは神が始め、神が導き、神が完成されるものである(1:6)。最後に、困難と戦いの中にあるからこそ、この交わりを通して共に神のめぐみにあずかることができる(1:7)。

神学校は現在、困難の中にある。だからこそ、福音のための交わりがさらに深められなければならない。学んでいる学生が整えられ、新しい学生が加えられ、神の栄光と誉れを表す神学校となるように祈っていただきたい。