キリスト者の目標」タグアーカイブ

将来の先取り(2009.2.1)

題   : 「将来の先取り」   宣教:   川原﨑 晃  牧師
聖書  : フィリピ 3章12節~21節
パウロがここで描き出しているのは、競技場で汗を流しながら「目標を目指してひたすら走る」キリスト者の姿です。しかも、過去を引きずって生きるのではなく、将来を先取りして現在を生きている姿です。そのように生きることが出来た秘訣は、どこにあったのでしょうか。

1.キリストに集中する  12~16節
キリスト者のスタ-トラインは、自分の努力・善行・功績・修業によるのではなく、キリストの救いの恵みに対して、ただ信じる信仰によるという、この一点です。 しかし、この恵みは、キリスト者を怠惰にしたり、自己満足に陥らせてしまうものではありません。キリストに捕らえられているゆえに、「後ろのものを忘れ、前のものに全身を向けつつ」歩むことです。過去の罪は忘れて、キリストの十字架の血による赦しときよめに与り続けるのです。失敗を忘れて、主なる神に委ねるのです。キリストのために成した業を忘れて、将来に向けて進んでいくのです。
そして、目標を目指してひたすら走り続け、追求していくのです。その目標はキリスト御自身であり、私たちの全領域をキリストに御支配していただくことです。キリストにあって全き者は、キリストに集中し、このように考え、そして生きるのです。

2.キリストを慕う  17~21節
私たちは、パウロに倣う者として、キリストの再臨とそれに続く栄光の祝福に与り、分かち合っていくのです。キリストがそれを成し遂げてくださるので、私たちはキリストを慕うのです。
そして今や、私たちはキリストが恵みをもって支配しておられる天に属する者として、キリストに捕らえられ、キリストを慕うのです。「我らの国籍は天に在り」(文語訳聖書)との御言葉が、私たちの信仰生活の中で力を発揮しているでしょうか。この御言葉によって慰められ、励まされ、明確な方向付けをいただいているでしょうか。また、この御言葉によって支えられ、深く影響されているでしょうか。
将来を先取りして生きる私たちは、十字架に死んで復活されたキリストに捕らえられ、そのキリストに集中し、キリストを慕う者でありたい。

目標を目指して(2008.2.3)

題   : 「目標を目指して」   宣教:  福田 勝敏 牧師
聖書  : フィリピ  3章12節~21節
本日は、教会総会の礼拝でもありますので、1月6日の新年礼拝で語った同じ箇所の、今年の標語の箇所から導かれています。さて、わたしたちは新年を迎えて一ヶ月を送り、どれほどの前進が出来たでしょう。一年間を振り返るときに神様の前にも、自分自身にも喜び、感謝のできる目標に向かって近づけるものでありましょう。

1.キリストに捕らえられているわたしたち
パウロは、熟練し、聖徒として練り上げられ、不純物を取り除けられ、キリストの形に造り上げられたかと思える大聖徒が「既に完全な者となっているわけでもありません」と言っています。
しかし、パウロは「捕らえようと努めているのです。自分がキリスト・イエスに捕らえられているからです」と言います。
わたしたちもキリストに捕らえられたお互いです。捕らえられたものらしい生き方をしたいものです。

2.完全な者にされているわたしたち
キリストに捕らえられているということは、キリストの完全な救いに与かった者です。そのような特権に与ったわたしたちは、毎日、ひたすら走ることが大切です。
完全な救いすなわち、完全な神の子どもにされたわたしたちです。そのわたしたちがさらに神様からの賞が与えられると言うのです。あのパウロの言う「義の冠」(2テモテ4:8)であり「命の冠」(ヤコブ1:12)、「栄冠(栄光の冠)」(1ペテロ5:4)です。

3.本国の備えられたわたしたち
先の賞をいただいたわたしたちは、主イエス・キリストのおられる御国に入れて頂ける特権が与えられていますが、そこは、新しい命をいただいて神の子とされた者たちの本国なのです。
しかも、イエス・キリストはそこから再臨されます。わたしたちが御国に移される前に再臨があれば、また感謝なことに約束の御国に移していただけるのです。
この地上においてこうした、このような輝く目標の与えられた恵を覚えて教会の前進、成長を願い、愛と平和に輝く神戸中央教会として頂きましょう。