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真実な証人(2013.8.11)

宣教題  : 「真実な証人」   宣教:   川原﨑 晃 牧師
聖    書  : 使徒言行録21章37節~22章5節 1ペトロ3章15節
真実な証人は、キリストの救いと今も共に働かれるキリストを生き生きと証言します。それが「キリストを主とあがめ」ることなのです(1ペトロ3章15節)。さて、絶対絶命の窮地に追い込まれた時のパウロの「ひと言」が、状況を一変してしまいました。

1.聖霊によって  21章37~40節
「ひと言お話ししてもよいでしょうか」とのパウロの申し出によって、千人隊長との問答が始まりました。千人隊長は、正直に語るパウロの安全を確保しつつ、民衆に対してパウロが弁明する許可を与えました。ヘブライ語で弁明するパウロには、気迫があったのでしょう。民衆は、すっかり静かになりました。
こうした正直な証言は、驚くべき力を持っています。全ては、聖霊によったからです(使徒言行録1章8節)。それは、ステファノが殉教した時と同じように(同7章54~60節)、聖霊に満たされているならば、人の憎悪の中にあっても、復活の主が見え、その救いに与かった者としての生き方がなされるのです。聖霊は、証言すべきことも教えてくださるからです(ルカ12章11~12節)。

2.揺るがない希望を抱くゆえに  22章1~5節
パウロがヘブライ語で弁明したことは、多くのユダヤ人に対して最適の言葉でした。彼は、ユダヤ人で名門の家に生まれ、律法の厳格な教育を受け、「熱心に神に仕えて」いたことを強調しています。さらに、キリスト者と教会の迫害者であったことを正直に証言しました。このようにして、彼は、律法に熱心で、どんなに名門に生まれても、人は救われないことを証ししたのです。彼は、恥はわがもの、栄光は主のものという信仰に徹していたのです。
ところで、キリストの大いなる救いに与かるという信仰は、私たちの希望であり、「いつでも弁明できるように備えて」いる必要があります(1ペトロ3章15~16節)。このような弁明こそが、人の目と心を開くのです。

教会が若かった時(2009.4.19)

題   : 「教会が若かった時」   宣教:   川原﨑 晃  牧師
聖書  : 使徒言行録  1章1節~11節
あらゆる時代のキリスト者と教会を目覚めさせ、鼓舞してきたのが「使徒言行録」です。そこに証されていることは、教会の前進が聖霊の御業によるということです。そこには、聖霊によって変えられた人々がおり、聖霊に満たされた人々の力強い証があります。こうした教会の若さの秘訣は、いったいどこにあるのでしょうか。

1.キリストの証人が用いられる
聖霊は、キリストに贖われた人々とキリストの体である教会を通して、今も働きを継続しておられます。それは、地理的にも時間的にも、何ものにも拘束されずに、世界的な拡がりをもって進められています。
そのためには、私たち一人ひとりが「わたしの(キリスト)証人となる」必要があるのです。証人は、最も説得力を持つ事実を証言します。それは、キリストの十字架と復活の出来事の証人であり、その十字架と復活が自分の生涯にどのような変革をもたらしたかの証人です。そのために、しばしば不利で危険な立場に立たされることがあったり、キリストのゆえに殉教することもあるのです。
キリストの証人は、最も身近な人々から、「地の果てに至るまで」の拡がりの中で用いられていくのです。

2.聖霊が臨まれる
キリストの証人になれるのは、その人に能力があるから、訓練を受けたから、熱心であるからではありません。その秘訣は、「聖霊が降る」ことによって「力を受ける」からです。それは、いつでも、どこでも、どんな状態であっても、「イエスは主である」(1コリント12章3節)と証させてくださる力です。また、キリストの栄光のみを現わすことを第一とする力です(ヨハネ16章14節)。
私たちは、聖霊が臨まれるために、「私ではありません。キリストです」との信仰の転換をさせていただく必要があります。その転換が、一時的ではなく継続されていく時に、聖霊によって力が与えられていることを自覚することができるのです。
教会が若いとは、聖霊が臨み続けているキリストの証人によって、キリストとその救いの事実が証言され続けて前進している教会です。