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受け入れる力(2016.3.6)

宣教題  「受け入れる力」           宣教 川原﨑晃牧師
聖 書  ルカ9章46~56節

主イエスは、どのような人でも受け入れてくださいます。人は、その主イエスを受け入れ、また他者をも受け入れ、互いに受け入れ合うことによって生きていくことができるのです。弟子たちの心と主イエスの心を比較することによって、受け入れることの大切なことを知るのです。

1.弟子たちの心
弟子たちは、だれがだれよりも偉いかとの議論をしています(46節)。そのような議論に至ったのは、弟子たちの間で比較し合ったり、その違いを意識し過ぎたりしたことによったと思われます。主イエスは、そのような彼らの心の内にある傲慢を見抜いておられます(47節)。
さらに、弟子たちは、自分たちの仲間になっていない者たちが主イエスのお名前を使って悪霊を追い出し、自分たちと関わりのない所で御業をしていることを非難しています(49~50節)。また、サマリア人が主イエスを歓迎しなかったことに怒っています(52~56節)。彼らの心には、自分たちのことを自慢する誤ったエリート意識があったのです。
弟子たちのこのような心は、主イエスに受け入れていただいていることを忘れた思いあがりから生じてくるものでした。

2.主イエスの心
主イエスは、当時の人々が何の役にも立たないと思っていた「子供」を受け入れておられます
(47節)。このことは、主イエスが、この子供に等しい存在であることを認める者を受け入れていてくださることを教えておられるのです。この主イエスを受け入れる者が、主イエスをお遣わしになった父なる神を受け入れる者なのです(48節)。主イエスは、価値や有用性によっておしはかられるのではなく、ただ罪によって失われていく命をいとおしんでいてくださるのです。そのために、十字架に向かって決然と歩み出されたのです(51節)。
主イエスを受け入れた者は、他者を受け入れるのです。ちょうど、主イエスが弟子たちの足を洗って彼らを受け入れられたように(ヨハネ13章1~20節)、私たちも互いに受け入れ合うことにより、新しい関係を造りだしていくのです。