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解き放たれて(2015.7.12)

宣教題  「解き放たれて」            宣教 川原﨑晃牧師
聖 書  ルカ8章26~39節

ここに登場する「悪霊に取りつかれている男」の姿は、特別な状況に置かれた人のことを語りつつ、罪と死と滅びにつながれた人の生き方を表しています。そして、主イエスは、そのような人たちをトータルにいやされることを証言しておられるのです。

1.人と人の関係をいやされる
この男は、衣服を身に着けないで墓場を住まいとし、昼夜わめき叫んで自らをコントロールできないでいました。悪魔は、こうしたことを通して、当人だけでなく、周りを傷つけ、破壊しようとしてくるのです。その結果、人間関係がうまくいかない状態にしてしまうのです。しかし、主イエスは、そのような所からこの男をいやされました。
私たちは、主イエスの十字架のもとで、人と人の関係をいやしていただき回復していただけることを信ずるのです。

2.私自身をいやされる
この男は、自分で自分の体に傷をつけていたとあります(マルコ5章5節)。主イエスは、その男の悲惨さに身を置いていやされました。その時彼は、静かにいやし主イエスと向き合って座っています(35節)。
私たちは、善をする力のない惨めな罪人ですが、主イエスの十字架の救いによって解き放っていただけると信ずるのです(ローマ7章24節~8章1節参照)。

3.正しい神理解に変えられる
いやされる前のこの男は、主イエスを高く聖なる神と言い表わしつつも、自分に関わらないでほしと願っていました(28節)。ところが、いやされた後は、イエスの足もとに座っています(35節)。彼は、苦しめる神ではなく、救いの神を知るという正しい神理解に変えられたのです。
私たちは、いかなる時も、救いの神である主イエスにより頼む生き方をするのです。
私たちは、こんなに大きなことをしてくださった主イエスを言い広めていくのです。