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生けるまことの神に立ち帰る(2012.4.15)

宣教題  :「生けるまことの神に立ち帰る」   宣教:   鎌野直人 協力牧師
聖    書  : テサロニケ信徒への手紙1 1章9節~10節

「神が(イエスを)死者の中から復活させた」(1:10)というメッセージこそ、パウロがテサロニケの人々に伝えた「神の福音」(2:9、1コリント15:3−5)です。旧約聖書の神、イスラエルの神とは全く無関係であった者たちがこの福音を聞き、聖霊の不思議なわざによって(1:5)彼らがその福音を神のことばとして受け入れた時(2:13)驚くべき回心が起こりました。偶像の神々に仕える者たちが、生けるまことの神に立ち帰ったのです。

1.偶像から離れる
偶像の神々と関わり、それらに仕える事なしに、日本同様にテサロニケの町で生きていくことはできませんでした。人々は偶像をおそれ、偶像から利益を得て生活してきたからです。しかし、「イエスを死者から復活させた神」の福音との出会いによって、この生けるまことの神と、偶像との間の雲泥の開きを聖霊は気づかせて下さいます。「私たちが大切にし賞賛しているもの」という偶像、「私たちが避け続けているもの」という偶像、それらと生けるまことの神の違いに、私たちは目が開かれているでしょうか。

2.生けるまことの神に仕える
回心は偶像から離れた者を「生けるまことの神に仕える」(1:9)者とします。この神への信仰(1:8)によって、テサロニケの人々がこの神の所有の民となり、この神に忠実に生きる者へと変えられるからです。ですから、福音に応える回心は、私たちの心のみならず、私たちの生き方を含めたすべてを変えます。もはや「神を知らない異邦人」(4:5)として生きるのではなく、神の所有の民、つまり「聖なる者」(4:3)として生きるからです。
生き方の変化に時間がかかることを私たちは経験から知っています。しかし、「イエスを死者から復活させた神」が私たちを「全く聖なる者」としてくださる、真実な方であると信頼し、祈り求め、歩き始めているでしょうか(5:23−24)。私たちの回心を始めて下さるのも、完成して下さるのもこの神です。