月別アーカイブ: 2021年5月

何を求めているのか(2021.5.30)

聖 書

イエスは振り返り、二人が従って来るのを見て、「何を求めているのか」と言われた。
(ヨハネ1章38節a)

礼拝音源(26.8MB)

礼拝順序

 

前  奏
招  詞 ローマ5章5節 司 会 者
頌  栄 29 一同起立
祈  祷 司 会 者
主  祷 93-5 A 一  同
交  読 詩編46編
会衆祈祷 一  同
聖  書 ヨハネ1章35~42節
使徒信条 93-4  1A 一  同
牧会祈祷 川原﨑晃主管牧師
宣  教 「何を求めているのか」 川原﨑晃主管牧師
祈  祷
賛  美 451 一  同
感謝献金
奏  楽
頌  栄 27 一同起立
祝  祷 川原﨑晃主管牧師
後  奏

宣教要旨

洗礼者ヨハネが、アンデレと使徒ヨハネに、主イエスを「見よ、神の小羊だ」と紹介したところ、彼らは「イエスに従った」のでした。それを見られた主イエスは、「何を求めているのか」と尋ねられました。これは、今の私たちへの問いかけでもあります。

1.最高の出会いを  35~38節a

私たちの出会いには多くのものがありますが、神との出会いこそが最高の出会いです。その道筋を備えてくださったのが、救い主イエス・キリストです。
「見よ、世の罪を取り除く神の小羊」(29節、36節)と紹介されていますが、主イエスこそが、唯一私たちを罪から解き放ち、罪の力に勝利させてくださる救い主です。
二人は、洗礼者ヨハネに命じられてではなく、主イエスを自発的に求め「イエスに従った」のです(37節)。あなたと主イエスとの個人的な最高の出会いが、ここにあります。あなたは、この出会いにどのように踏み出していますか。

2.一生かけた信仰の歩みを  38節b~42節

続けて、二人は「来なさい。そうすれば分かる」との招きに応えて、「イエスのもとに泊まった」のです(39節)。彼らにとっては、祝福の晩となりました。主イエスと交わってその人格に触れ、主イエスが「先生」から「メシア」である救い主となったからです。
主イエスに従うことが、この方と信仰によって結びつき、その後の生涯が主の弟子となっていきました。シモン・ペトロも例外ではありませんでした(40~42節)。
信仰生活の途上において弱さを覚えることがあっても、主イエスは執り成し続けていてくださいます。主イエスが、一生かけた信仰の歩みを導いてくださいます。

 

礼拝ご案内・行事予定(2021年6月)

礼拝はキリスト教会の最も大切な行事です。私たちのいのちの糧である聖書の言葉がわかりやすく語られます。讃美歌を歌い、祈ります。 神さまを讃え、救いにあずかった感謝を表します。

 

◎ 主日礼拝 (毎週日曜日)
第1礼拝 :AM 9:00 ~ 10:00
第2礼拝 :AM 10:45 ~ 11:45
第3礼拝 :PM 5:00 ~ 6:00
○成人科プログラム (毎週日曜日)
AM9:30 ~ 10:15 楽しい聖書の学び
1階集会室にて お話は毎回完結します。
いつでもお入りください。
6日(日) 第1聖日 礼拝
「福音の真理に歩む」
ガラテヤ2:11~14
休会
13日(日) 第2聖日 花の日礼拝
「キリストに見出されて」
ヨハネ1:43~51
休会
20日(日) 第3聖日 父の日・伝道礼拝
「喜びの中にキリストを」
ヨハネ2:1~12
休会
27日(日) 第4聖日 海外宣教日礼拝
「福音の本当の味わい」
ガラテヤ2:15~16
主をおそれる
箴言1:7~12
鎌野 健一

祈祷会 恵みの分かち合い (毎週水曜日)  AM 10:30 ~11:30、PM 6:30 ~ 7:30

祈祷会は毎日の家庭の祈りに加えてクリスチャンが心を合わせて神に問い、神と語る集会です。キリスト教にとって、祈りは「ご利益の祈願」や「瞑想」ではありません。 神さまのみこころが私たち世界に満ちることを願い、さらに救われたことを神さまに感謝するものです。

6月行事予定

■ 6日(第1聖日)礼拝 6月誕生者祝福
■ 13日(第2聖日)礼拝 花の日行事 教会役員会
■ 20日(第3聖日)父の日礼拝 伝道礼拝
■ 27日(第4聖日)海外宣教日礼拝

7月行事予定

■ 4日(第1聖日)礼拝 7月誕生者祝福 教会学校教師研修会2
■ 11日(第2聖日)礼拝 CSキャンプ献金 役員会
■ 18日(第3聖日)教団創立記念日礼拝
■ 25日(第4聖日)伝道礼拝 JYキャンプ献金 ティーンズBCプレ集会

聖霊によって(2021.5.23)

聖 書

「霊が降って、ある人にとどまるのを見たら、その人が、聖霊によって洗礼(バプテスマ)を授ける人である。」(ヨハネ1章33節c)

礼拝音源(25.3MB)

ペンテコステ感謝礼拝順序

前  奏
招  詞 使徒言行録1章8節 司 会 者
頌  栄 29 一同起立
祈  祷 司 会 者
主  祷 93-5 A 一  同
交  読 詩編84編
会衆祈祷 一  同
聖  書 ヨハネ1章29~34節
使徒言行録1章3~8節
使徒信条 93-4  1A 一  同
牧会祈祷 川原﨑晃主管牧師
宣  教 「聖霊によって」 川原﨑晃主管牧師
祈  祷
5月誕生者祝福 「イザヤ書41章10節」
賛  美 343 一  同
感謝献金
奏  楽
頌  栄 27 一同起立
祝  祷 川原﨑晃主管牧師
後  奏

宣教要旨

洗礼者ヨハネは、イエス・キリストとの関わりにおいて、聖霊がどのような方であり、どのような働きをされるのかを明らかにしています。

  1. イエスを証しする聖霊

ヨハネは、罪の赦しに至る悔い改めを象徴する「水で洗礼を授け」ながら、イエスがおいでになる準備をしていました(30~31節)。彼は、イエスを見て「見よ、世の罪を取り除く神の小羊」と言いました(29節)。そう言い表したのは、自分の考えや意見に基づくものではなく、「霊が降って、ある人にとどまるのを見たら、その人が、聖霊によって洗礼を授ける人である」と神が語られたことに根拠がありました(33節)。イエスこそが、聖霊によって洗礼を授ける方であり、十字架と復活のイエスに浸すように一つとしてくださり、罪の赦しときよめをもたらしてくださる「神の子」なのです(34節)。

キリストを証しするのは、聖霊ご自身です(ヨハネ15章26節)。ですから、聖霊の働きによってイエスを主と告白し、聖霊に全く明け渡すことによってきよくされるのです。

2.イエスの証人とする聖霊

使徒たちはイエスの約束に従って、聖霊が降るのを祈り待ち望みました(使徒言行録1章12~14節)。そして、聖霊が一人一人の上にとどまり、一同が聖霊に満たされました(同2章1~4節)。この「聖霊によって洗礼を受ける」とは(同1章5節)、聖霊によってイエスと一つにされて力を受け、イエスの証人とされることでもあるのです(同1章8節)。

聖霊によって、私たち一人一人と教会の霊性と信仰に風通しをよくしていただいていることが大切です。そのためには、聖霊を待ち望み、慕い求め続けることが必要です。

キリストは今、どこにおられるのか (2021.5.16)

聖 書

神は、この力ある業をキリストの内に働かせ、キリストを死者の中から復活させ、天上においてご自分の右の座に着かせ、(エフェソ1章20節)

礼拝音源(22.8MB)

礼拝順序

前  奏
招  詞 ヨエル書3章1節 司 会 者
頌  栄 29 一同起立
祈  祷 司 会 者
主  祷 93-5 A 一  同
交  読 詩編126編
会衆祈祷 一  同
聖  書 エフェソ1章20~23節
使徒信条 93-4  1A 一  同
牧会祈祷 川原﨑晃主管牧師
宣  教 「キリストは今、どこにおられるのか」 川原﨑晃主管牧師
祈  祷
賛  美 390 一  同
感謝献金
奏  楽
頌  栄 27 一同起立
祝  祷 川原﨑晃主管牧師
後  奏

宣教要旨

主の愛の御手に触れられた者は、その愛に信仰の手を伸ばして応答し、隣人にも交わりの手を差し出す誠実な心と歩みがつくられていきます。このことを「手」との言葉を題目にしつつ、御言葉から聴いていきます。

キリストは今、昇天され神の右に着座されています(20節、使徒言行録1章11節)。このキリストによって私たちの信仰は確かにされ、力を増していくのです。

1.キリスト、すべての頭として  1章21~23節

神は、信じる者に力強く働く神の力をキリストの内に働かせて、十字架の死から復活させ、昇天させて神の右に着座させ、神とキリストが一つであることを明らかにされました(19~20節)。それによって、キリストはすべてのものを将来にいたるまで支配され、その上に立つ頭となられました(21~22節)。ただ、今の現実の全てが、キリストの支配に服しているのではありません。

なお、キリストは教会の頭として満ち満ちておられ(22~23節)、教会においてキリストのすべての恵みを受け取ることができます。それゆえに、私たちは「イエス・キリストは主である」との信仰告白へと導かれるのです(フィリピ2章6~11節)。

2. キリスト、私たちの内に  3章16~19節

キリストは今、主のものとされた者の「心の内に住んで」くださり、住み続けてくださり、一つになって生きていてくださいます(17節a)。そのために、神はご自分の力をもって「内なる人」を強くしてくださり(16節)、キリストの愛に満たされた歩みをさせてくださいます(17~19節)。

ところで私たちは、現実に弱さを覚えて恐れを抱き、祈れなくなることがあります。しかし、キリストは恐れなさらないお方です。私たちは、このキリストを信頼し、内に住み続けていただいて全てを支配していただくことが大切なのです。

 

右手を差し出して(2021.5.9)

聖 書

私にこのような恵みが与えられたのを認めて、ヤコブとケファとヨハネ、つまり柱と目されるおもだった人たちは、私とバルナバに交わりのしるしとして右手を差し出しました。(ガラテヤ2章9節a)

礼拝音源(23.6MB)

礼拝順序

前  奏
招  詞 ヨハネ16章13節a 司 会 者
頌  栄 29 一同起立
祈  祷 司 会 者
主  祷 93-5 A 一  同
交  読 詩編128編
会衆祈祷 一  同
聖  書 マタイ9章18~26節
ガラテヤ2章9節
使徒信条 93-4  1A 一  同
牧会祈祷 川原﨑晃主管牧師
宣  教 「右手を差し出して」 川原﨑晃主管牧師
祈  祷
賛  美 520 一  同
感謝献金
奏  楽
頌  栄 27 一同起立
祝  祷 川原﨑晃主管牧師
後  奏

宣教要旨

主の愛の御手に触れられた者は、その愛に信仰の手を伸ばして応答し、隣人にも交わりの手を差し出す誠実な心と歩みがつくられていきます。このことを「手」との言葉を題目にしつつ、御言葉から聴いていきます。

1.主への信仰の手を伸ばす  マタイ9章18~26節
12年間病気に苦しんでいた女性は、絶望的とも思われたなかから、主イエスに近づき、治してもらえると信じて手を伸ばして衣に触れました。主イエスは愛ゆえに、この女性の信仰を見て「あなたの信仰があなたを治した」と言われました(20~22節)。一方、娘の死によって絶望に打ちのめされていた父親は、主イエスの前に「ひれ伏して」嘆願しました(18~19節)。主イエスは愛ゆえにその娘の手を取り、父親の信仰に応えて、娘を起き上がらせたのです(23~26節)。
このように、主イエスは愛の御手を差し伸べて触れてくださるお方です。それに対して、人が主への信仰の手を差し伸べることを通して、主は御業をなされるのです。

2.主にある交わりの手を差し出す  ガラテヤ2章9節
母なるエルサレム教会の指導者たちとパウロたちは、主の恵みの御手に触れて同じ福音に与った人たちです。それゆえに、指導者たちがパウロたちに「交わりのしるしとして右手を差し出」すことを通して、共通のものを共有している証しをしたのです。
これは、教会での互いの間における、また互いの家族におけるコイノーニアの交わりに与る者たちの姿です。今の私たち一人ひとりにも、祈りの交わり手を、愛の交わりの手を差し伸べる人が、身近なところにおられます。

福音は一つ(2021.5.2)

聖 書

福音の真理があなたがたの内に常にとどまるように、私たちは、一時も彼らに屈服することはありませんでした。(ガラテヤ2章5節)

礼拝音源(25.5MB)

礼拝順序

前  奏
招  詞 詩編118編23~24節 司 会 者
頌  栄 29 一同起立
祈  祷 司 会 者
主  祷 93-5 A 一  同
交  読 詩編127編
会衆祈祷 一  同
聖  書 ガラテヤ2章1~10節
使徒信条 93-4  1A 一同
牧会祈祷 川原﨑晃主管牧師
宣  教 「福音は一つ」 川原﨑晃主管牧師
祈  祷
賛  美 411 一同
感謝献金
奏  楽
頌  栄 27 一同起立
祝  祷 川原﨑晃主管牧師
後  奏

宣教要旨

キリストの福音によって造り変えられたパウロは、人間の支えによるのではなく、独善でもなく、イエス・キリストを死者の中から復活させた父なる神の御業の中て生かされてきました(1章)。その福音は一つであることを明らかにしています(2章)。

1.福音の真理にとどまる  1~5節
パウロは、回心後17年目にして、バルナバとテトスを伴って「再びエルサレム」を訪問しました(1章18節、2章1節)。この間、パウロのうちに十分な福音理解が形成されていったと思われます。この訪問の動機は、神のご計画・ご指示によったことでしたが、エルサレム会議が開かれた時だったと考えられています(使徒言行録15章1~2節)。
教会は、イエス・キリストを信じるだけでは救われないと歪める主張に対して、罪人であるすべての人に対する無条件で、無代価で与えられる「福音の真理」に固く立ちました(3~5節)。この揺らぐことのない福音の再発見こそが、今日の教会を支えています。

2.神の恵みに立ち続ける  6~10節
エルサレム教会の指導者たちとパウロたちは、「人を分け隔て」なさらない神によって、互いに尊敬の念を抱いています(6節)。そして、誰もが神の恵みによって救いと使命への召しに与っていることを知っていたために、同じ福音のために各々に委ねられた使命に生きることを確認したのでした(7~8節)。そして、主にある一致の交わりとして「右手を差し出し」、教会に共通に与えられている使命を確認したのでした(9~10節)。
私たちの存在の原点が神の恵みであることを忘れることなく、その神の恵みに繰り返し立ち続けることが大切です。