日別アーカイブ: 2020.07.05

キリストを中心として(2020.7.5)

聖書

子どもたち、主にあって両親に従いなさい。それは正しいことだからです。(エフェソ6章1節)

礼拝音源(29.4MB)

礼拝順序

前  奏
招  詞 詩編46編10節 司 会 者
頌  栄 29 一同起立
祈  祷 司 会 者
主  祷 93-5 A 一  同
交読詩編 32編1~11節
会衆祈祷 一  同
聖  書 エフェソ6章1~4節
使徒信条 93-4  1A 一同起立
賛  美 396 一同起立
牧会祈祷 川原﨑晃主管牧師
宣  教 「キリストを中心として」 川原﨑晃主管牧師
祈  祷
7月誕生社祝福 詩編100編1~2節
賛  美 546 一同起立
感謝献金
奏  楽
頌  栄 27 一同起立
祝  祷 川原﨑晃主管牧師
後  奏

宣教要旨

教会は、あらゆる違いを超えて兄弟姉妹とされた者たちが集められています。支配者と被支配者を作り出すところではありません。ですから、妻も夫も、子供も両親も互いに兄弟姉妹と呼び合い、愛の関係を築き合うのです。

1.主にあって  1~3節
子供と両親の関係は、世の中の親子関係ではありません。キリストを中心として、兄弟姉妹の関係に生きるように召されています。ですから、子供に「両親に従いなさい」と命じるのです。それは、両親を敬って、両親が語る言葉に聞き従う姿勢を表しています。「それは正しいこと」だからです。
このように両親に従うことは、有無をも言わさない服従を意味しているのではありません。主イエスが天の父を愛し敬う仕方で天の父に聞き従われたように、子供は「主に結ばれている者」すなわち「主にあって」両親に向き合い聞き従うのです。それが、幸いをもたらす生き方であり、神のご厚意から与えられるのです(3節)。

2.主がなさったように  4節
同様に両親も、主にあって子供に向き合うのです。そして、特に父親は、信仰に基づく信念をもって、教え導くのです。それが、威圧的で独善的であれば、子供に反発と怒りを抱かせるでしょう。「主にあって」とは「主がなさったように」との意味があり、父親は、主の仕方を意識し、主の愛に倣おうとする姿勢が求められます。

こうした親子の関係は、兄弟姉妹の関係においても同様です(5章21節)。そこには、共に十字架のもとにひざまずき、天の御国を目指して旅する神の民の姿があります。