月別アーカイブ: 2014年10月

礼拝のご案内・行事予定(2014.11)

礼拝はキリスト教会の最も大切な行事です。私たちのいのちの糧である聖書の言葉が、わかりやすく語られます。讃美歌を歌い、祈ります。 神さまを讃え、救いにあずかった感謝を表します。

◎ 主日礼拝 (毎週日曜日)
第1礼拝 :AM 9:00 ~ 10:15
第2礼拝 :AM10:45 ~ 12:00 
第3礼拝 :PM 7:00 ~ 8:00
○成人科プログラム(毎週日曜日)AM9:30 ~ 10:15
楽しい聖書の学び  1階集会室にて
お話は毎回完結します。いつでもお入りください。
2日(日) 第1聖日 聖徒の日記念礼拝
「生ける望み」 1ペトロ1:3~5
 荒野で与えられた食物
出エジプト16:31~36
鎌野 健一
9日(日) 第2聖日 幼児成長祝福礼拝
「福音のために生きる」 ルカ7:24~35
祈りと証し
16日(日) 第3聖日 特別礼拝
「神さまを知る」
イザヤ49:13~21、ヨハネ20:24~29
十戒
出エジプト20:1~17
大塚 章信
23日(日) 第4聖日 収穫感謝日・伝道礼拝
「豊かに備えてくださる神」
ヨハネ21:1~14
信じて見上げる
民数記21:4~9
佐藤 正雄
30日(日) 第5聖日 第一待降節礼拝
「あわれみの王である神」
出エジプト34:1~9、ローマ5:8
インマヌエル預言
イザヤ7:1~17
増永 茂

祈祷会 恵みの分かち合い (毎週水曜日)  AM 10:30 ~12:00、PM 7:00 ~ 8:30

祈祷会は毎日の家庭の祈りに加えてクリスチャンが心を合わせて神に問い、神と語る集会です。キリスト教にとって、祈りは「ご利益の祈願」や「瞑想」ではありません。
神さまのみこころが私たち世界に満ちることを願い、さらに救われたことを、神さまに感謝するものです。

11月行事予定

2日(第1聖日) 聖徒の日記念礼拝 11月誕生者祝福  召天者合同記念会
9日(第2聖日) 幼児成長祝福礼拝 聖餐式  役員会
16日(第3聖日) 特別礼拝  特別講演会
23日 (第4聖日) 収穫感謝日・伝道礼拝  大掃除
30日 (第5聖日) 待降節礼拝 バルナバ・ミッション祈り会  教師研修会

キリストからの招待に応えて(2014.10.26)

宣教題:「キリストからの招待に応えて」   宣教:   鎌野 直人 協力牧師
聖    書: マルコ1章16~20節

だれでも問題を抱えている。自分自身のこと、家族のこと、職場のこと、地域のこと、国のこと、世界のこと、地球環境のこと。もっときれいな世界のはずなの に、そうでない。もっとずるくない世界のはずなのに、そうでない。これだけ問題があるのに、自分は何をしたらいいのか、わからないで。

1.問題だらけの世界に来られたイエス
現代の私たちと同じように、新約聖書が書かれた2,000年前のユダヤの地にも、数多くの問題があった。そして、だれでもが問題を抱えていた。社会から のけ者にされている。神の祝福が自分たちの上に溢れているわけではない。自分たちとは全く関係のない者が、王としてユダヤを、世界を治めている。でも、こ の問題を解決する術をしらない。自分がそれにどう関わったらいいのか、わからない。
そんな世界に来られたのがイエスである。イエスは、自分の働きを通して、もっときれいな世界が、もっとずるくない世界が始まる、と人々に語られた。それ は、イエスを通して、ほんものの神が王となって世界を造り変えられ始めたからだ。さらに、ガリラヤ湖で漁師をしていた二組の兄弟に、「人間をとる漁師にし てあげよう」(17)と語りかけた。神が始められた新しい世界のために働く使命を彼らに与えるためであった。

2.わたしについて来なさい
イエスの招きのことばは、「わたしについて来なさい」(17)であった。「自分のグループに入りなさい」という意味ではない。まず、それは、あなたには 価値があり、使命がある、という意味である。次に、今までの道を今まで通りにあなたが歩いている限り、問題は解決しない、という意味である。あなた自身が あなたの抱えている問題の原因のひとつであるからだ。三つ目に、解決のために、なによりも新しい王のあとを従うべきである、という意味である。今まで歩ん でいた間違った道を修正することなしに、問題の解決はない。この声を聞いて、漁師たちは、自分のもっているものを置いて(18、20)、イエスの弟子とな る道を選んだ。そして、イエスと共に、きれいで、ずるくない世界を生みだすプロジェクトに加わった。
イエスは今日も、同じように私たちを招待してくださっている。問題だらけのこの世界をイエスと共に変えていくプロジェクトに加わるように招いてくださっている。自らも問題の原因であることを認め、そのあわれみに招きに応えて、新しい王について歩んでいこう。

平安を生み出すもの(2014.10.19)

宣教題  :「平安を生み出すもの」   宣教:   川原﨑 晃 牧師
聖    書  : ヨハネ20章19~23節

復活された主イエスは、ユダヤ人を恐れ、また先行き不透明な状況に不安を覚えて戸を閉ざしていた弟子たちを訪れられ、真ん中に立たれて「あなたがたに平和(平安)があるように」と二度語りかけられました。その「平安」は何を生み出すのでしょうか。

1.恐れから確信を  19~20節
弟子たちは、主イエスと同じように捕らえられてしまうのではとのユダヤ人に対する恐れ、また十字架の主イエスを捨てて逃げてしまったことに対する主イエ スへの恐れがあったために、戸を閉じて鍵をかけていました。それは、恐れと不安のゆえに心を閉ざしている人の姿を表しています。また、神がそうされたと思 い込んでしまって、主イエスにも心を閉ざしてしまう人の姿でもあります。このように主イエスに心を閉ざすと、恐れが支配し、愛は冷え、喜びは消えうせてし まいます。
主イエスは、弟子たちに「手とわき腹をお見せになった」ように、今も変わらずにご自身の十字架と復活を明らかにしておられます。ここに、不信からくる恐 れはなく、信じ確信することからくる大いなる喜びがあるのです。復活の主イエスと共に歩む者には、この確信を欠かすことができないのです。

2.不安から継承する使命を  21~23節
続いて主イエスは、自信喪失して無力になり、これからの歩みに不安を覚えていた弟子たちに、ご自身の使命を継承させるために遣わすことを明らかにされま した。その使命が遂行されるためには、人間の知恵や努力や工夫の一切を用いて可能にしてくださる聖霊が注がれる必要がありました。その使命とは、先に罪の 赦しに与った者が、主イエスの名によって、主イエスに代わって罪の赦しを告げることです。これは、主の弟子である私たちにのみ託されている驚くべき使命で す。
私たちは、主イエスに対して心を開き、互いに心を開き、共に生きる人々にも心を開いて、聖霊による確信をいただき、聖霊の導きのうちに継承してきた使命を果たしていくのです。

キリストを見続ける(2014.10.12)

宣教題  :「キリストを見続ける」   宣教:   川原﨑 晃 牧師
聖   書  : ルカ 7章18~23節

人が日々見つめているものが、その人を表し、その人を決めると言えるでしょう。信仰とは、仰ぎ見ることです。私たちを愛し、私たちのために救いの御業を成し遂げられた主イエスを仰ぎ見るところに、私たちの幸いがあります。

1.主イエスが見えなくなる時
洗礼者ヨハネは、領主ヘロデによって捕らえられて牢に閉じ込められていました(ルカ3章20節)。主イエスに直接お会いすることができなくなっていたヨ ハネは、弟子の中から二人を選んで主イエスのもとに使いを出して、「来るべきお方は、あなたでしょうか」と問いかけました(19~20節)。この時死に直 面したヨハネは(ルカ9章7~9節)、イエスが自分を救出してくださる兆しがないことに、つまずいたのでしょうか。また、彼の弟子たちの中には、救い主イ エスのことが理解できないまま疑いを持っていたので、主イエスにつまずいたのでしょうか。そんな彼らに、「わたしにつまずかない人は幸いである」(23 節)と言われのです。
人は、主イエスの十字架と復活の出来事につまずきやすいものです(1コリント1章23節)。私たちの救い主であり、また教会の主であるイエスを信じ仰ぎ見ることができなくなってしまうからです。

2.主イエスご自身に聴き続ける
主イエスは信頼して尋ねるヨハネに、彼の弟子たちを通して的確な答えをなされ、それを伝えるように勧められました(21~22節)。このように、自分自 身で主イエスが語られる御言葉を聴き続けることほど確かなことはありません。このことを通して、自分で描く勝手なイエス像から解き放っていただけるので す。
私たちは、何かが起こってきたら、いったんそれを横に置き、祈り、御言葉を読み、全ての領域において主イエスを中心に置いて、このお方を仰ぎ見ることが大 切です。私たちは、日々に何を見ているのでしょうか。十字架に死んで復活され、共におられる主イエスを見続ける生涯でありたいものです。

私たちを支えるもの(2014.10.5)

宣教題  :「私たちを支えるもの」   宣教:   川原﨑 晃 牧師
聖    書  : 1ペトロ1章1~2節

私たちは、ペトロや「各地に離散して仮住まいしている選ばれた人たち」と同じように、天の御国を目指して、人生を旅する者です。たとえ同じ場、同じ状況下 にあったとしても、過去を振り返りつつ、将来へと身を転じて踏み込んでいくのです。それを支えるものは何でしょうか。

1.主の恵み
この手紙は、迫害と苦難の中にある聖徒たちと諸教会に向けて書かれたものです。その内容を一言で表現すると、「この恵みにしっかり踏みとどまりなさい」(5章12節)とあるように、神の恵みにしっかり立つようにということです。
ペトロは、自分の身に与えられた主イエスの恵みを深く思わずにはおれませんでした。彼は、主イエスに従う道を踏み出しましたが(マタイ4章18~20 節)、主イエスの十字架を前にして、弱さと無理解ともろさを露呈しました(同26章69~75節)。そのようなペトロのために祈り、赦し、力づけ、回復さ せてくださったのは、復活の主イエスでした(ヨハネ21章15~19節)。
私たちも同様に、十字架の血によって罪を赦され、復活の主イエスに結ばれて神のものとされたのです。この主の恵みゆえに、主イエスに従い続けることが光栄ある歩みなのです。

2.主の愛の選び
主の弟子であったペトロは、「イエス・キリストの使徒」と自己紹介しています。彼は、主イエスと共に生活し、主イエスから直接訓練を受け、主イエスから 選ばれて任命を受け遣わされた人でした。同様に離散者にして寄留者であった聖徒たちも、選ばれて遣わされた人たちです。この選びは、主なる神が人をよく知 られた上で、愛によって「選ばれたのです」。
私たちは、主と共に歩み、御言葉によって教えを受けて導かれ、神の愛による選びをいただいて各々の持ち場に遣わされていることを忘れてはなりません。
主に従う者、また主に遣わされた者としての歩みは、今までの恵みと平和で足りるというのではありません。この恵みと平和が「ますます豊かに」注がれるように祈り願い求めながら、主の恵みと愛の選びの中を歩み続けるのです。