日別アーカイブ: 2009.12.06

恵みの確かさ(2009.12.6)

題   : 「恵みの確かさ」   宣教:   川原﨑 晃  牧師
聖書  : マタイ 1章1節~17節
私たちは、イエス・キリストに現わされた神の恵みに出会い、その恵みに生かされている者です。たとえ、私たちが打ちのめされそうな中を通されても、その恵みの確かさは変わりません。「イエス・キリストの系図」と言われるこの箇所に、その根拠を見い出すことができます。

1.真実な神ゆえに
イエス・キリストは、アブラハムに約束された祝福を成就させるために、またダビデに約束された真の王となるために来臨されました。そして、そこに明らかにされている系図には、時や場所を越えて、神の福音が秘められています。神の民が高められていく時代、また衰退していく時代、そして暗黒の中で救い主を待望する時代と特徴づけています。そのような様々な歴史を変遷しながら、神は約束を忘れることなく、ついにキリストにおいて全ての人々に救いがもたらされたことを明らかにしておられるのです。神の真実が、この系図を通して言い表されているのです。
神は、御自身を裏切ることのない真実な方です(2テモテ2章13節)。この神の真実が、私たちに慰めと希望を与えるのです。

2.愛の神ゆえに
この系図の中に、タマル、ラハブ、ルツ、ウリヤの妻の4人の女性が記されています。彼女たちは、不義の罪を犯した人や神の祝福を受けられないと思われていた異邦人でした。また「ウリヤの妻」と語られたのは、ダビデの罪が明らかにされるためでした。男女間の節操だけではなく、神に対する節操はどうか、とも問われています。このようにして、一人ひとりが神の御前に罪人であることを明らかにされたのです。
そこで、全く罪も汚れもないイエス・キリストが、この罪人を救うために、罪人の一員として系図に入れられる必要があったのです。私たちは、神の御前に罪を悔い改め、その罪の大きさに勝る十字架の赦しの愛を受け入れるならば、神の家族の家系図に記された一員とされるのです(ヨハネ1章12~13節)。この神の恵みの確かさに支えられて導かれる者は幸いです。