日別アーカイブ: 2008.09.07

キリストの心(2008.9.7)

題   : 「キリストの心」   宣教:   川原﨑 晃  牧師
聖書  : フィリピ 2章 1節~11節
「汝らキリスト・イエスの心を心とせよ」(5節、文語訳聖書)と、キリストと共に、キリストのために生きる者は、キリストの心を大切にするように勧めています。その心は、「へりくだって」とあるように(3節、8節)、謙遜な心です。これこそ、私たちが受け継いでいく信仰のいのちです。

1.キリストの謙遜が私たちの救い
キリストの心の中心は、キリストの愛です。キリストの愛の中心は、キリストの謙遜です。真の神であられるキリストが、人となられて罪以外の全てのことを経験してくださり、その地位も立場も無にして仕えてくださいました(6~7節)。その極みが、十字架の死に至るまで従順であられたことです(8節)。
主イエスは、十字架という唯一の目的のために従順であることを学びつつ、従い通されました。これによって、私たちの救いの源となられたのです(ヘブライ5章8~9節)。
父なる神によって最も高く挙げられたキリストこそ、主と告白され、全ての被造物によって礼拝を受けられ、讃えられるべきお方です(9~11節)。

2.キリストの救いが私たちの謙遜
このキリストの謙遜こそが、パウロがフィリピ教会に対して切願した一致の土台でした。さらにパウロは、一人ひとりの信徒がキリストの愛と慰めと恵みによって霊性を整えられ、同じ愛の心を持ち、心を合わせ、志しが一つになるようにと切願しています(1~2節)。
そのために大切なことは、キリストの救いのゆえに、自分優先ではなくて、キリスト優先を貫くことです(3~4節)。そこでは、他者が生かされ、教会が生かされ、神の栄光が現されるために、自分の主張を撤回し、自分の利益を捨てることが求められます。キリストと同じように、謙遜になって従順を学び続けることによって、真に他の祝福の源となることができるのです。
謙遜であられるキリストが、私たちの内に力強く働かれ、そのキリストに生きていただくという信仰に生きる教会となりましょう。